2007年06月20日
起業への軌跡 「去り行く自分は。。。」
そして、僅か半年間ではあったものの、シリコンバレー関連の情報、ネットワークの知識、新規の営業経験と多くの経験を積ませてもらった日商エレクトロニクスを退職することになる。
けつをまくったせいか、いやはや、多分、社会を何もわかっていない若さ故だったと思うのだが、不思議と退職に怖さはなかった。
唯一、後ろ髪を引かれたのは、やはり大きな組織にいれば入ってくる情報量も違うし、尊敬する先輩たちもいる。
それが全て失うことになるのだ。
大きな組織にいるメリットは、やはり、この経営資源だと今でも思う。
やりたいことがやれる環境。
遠回りだと思っていたサラリーマン人生。
これらとおさらばして、自分の責任においてやりたいことがやれる。
意気揚々として、組織人ではなく、もはや俗人としての人生のスタートを切ることなるのだが、やはり社会は甘くはなかった。
新卒で給料も安かったこともあり、付き合いやスーツの購入等でカードの支払いが迫ってくる。
両親には仁義を切って半年間という約束で実家に置かせてもらうことになった。
(大学まで出してもらって、穀潰しを許せて貰うだけでもありがたいことだ。)
失業保険も当然ながら、申請。
とにかく、日銭稼ぐのに必至で今の自分で何が出来て、何が金になるかを必至に考えました。
学生時代、お世話になったバイト先にも営業に行って、僅かならがネットの仕事を貰ってきたりと。
事業計画も沢山、考えました。
今から思うと、恥ずかしいビジネスモデルを沢山、考えていたのですが、それでもマーケットサイズだったり、市場性だったりといったものを大前研一の起業本を読みながら、自分なりに試行錯誤しながら計画を立てていました。
その中で板倉さんからも、評価されたビジネスモデルがありました。
「幹事ドットコム」
というもので、確か2000年に考えたものだったのですが、合コンや宴会、歓送迎会の幹事をターゲットに提携した飲食店で登録したクレジットカードを使うと皆にはわからず、キャッシュバックされるというものでした。
これは、ボトルネックはクレジットカード会社との提携で、何の信用も社会も知らない22、23歳のひよっこにはハードルが高すぎました。
が、、、
今のSBI。つまりソフトバンクインベストメントの元となるソフトバンクファイナンスのMBAホルダーの担当者が興味を示し、この事業がに乗り出すことになる。
その頃は仮称:ネットポイントといって、今のネットマイルとまさに同じビジネスモデルだったのですが、当時、アメリカではビーンズドットコムという同じようなモデルが立ち上がったばっかりで、とても可能性を感じられたモデルでした。
が、、、
やっぱり、甘かったなぁ~~~。
そもそも、モデルもイマイチだったし、人脈も実務経験も弱かったし、上手くことは運びませんでした。
その頃には失業保険も切れ、特に事業を起こすにあたっての実務経験の乏しさ、もっというと実際のオペレーションイメージの低さを板倉さんからも指摘され、その経験を積むことが自分にとって最良であると考え始めていました。
欲しい経験が明確になってきている。
そして、金も底をついたどころか、彼女への借金も膨らみ。
そろそろ、ネット系でバイトをしながら頑張るかと、バイトの調査をしていた頃、女神から、一本の電話がありました。
旧日商岩井の人事部⇒情報産業本部といったエリート街道まっしぐらで、特損を出し中核子会社の株価向上に躍起になっていた頃に、情報産業本部から日商エレクトロニクスに出向で着ていた久保先輩からの電話でした。
久保さんとは退職後も懇意にさせてもらい、一緒に、ベンチャー起業家と投資家、弁護士、弁理士、会計士といった支援者をマッチングさせる会合を開いたりと、活動をしていました。
当時の久保さんは青山のいやらしいマンションに住んでおり、仕事もバリバリ、後輩からも上司からも人望が厚く、シリコンバレーに出張に行き、肩で風を切って歩く、典型的な格好良い商社マンでした。
そんな久保さんが同期と戦略子会社を作った、という話は聞いていたのですが、ネットを熟知しており、若い人材。
そして、日経新聞の一面に載った98年の1600億円の特損計上の影響から子会社の半減発表とグループ会社の新規採用の手控えもあり、当時、合資会社を設立していた僕は、業務委託という形で参画できたこともあり、まさに条件が揃っていたのだと思います。
金に困っており、立上げ経験が積みたかった当時。
この一本の電話は、チャンス以外のなにものでもなく、二つ返事で、
「是非、やらせてください!」
とお願いしたのを今でも鮮明に覚えています。
当時、ITバブルの真っ只中という時代背景もあったと思いますが、この一本の電話が僕の人生を大きく好転させるきっかけとなりました。
縮小路線をとっていた当時の日商岩井が社長直下の戦略子会社を作ったのは、異例のケースといえます。
社長直々にプレゼンを行い承認を取ったのは、駒谷さんと久保さんの双璧です。
そして、立上げメンバーは同期と後輩である、根本さん、寺部さん、上田さんと言った面々でした。
久保さんは今でもイービストレードで当時、誰もが反対したDVDのプレス事業を立上げ、国内シェア1位、2位を争うまで、事業を成長させました。
駒谷さんはイービストレードを離れた後、マーケティング会社である株式会社イニシャルを立ち上げています。
根本さんも、イービスを離れた後は大好きな囲碁の事業を立上げ、株式会社石音を立ち上げています。
上田さんも海外駐在の夢をかなえ、双日(旧:日商岩井)に戻り、ヒューストンの会社に投資し、駐在員として活躍しています。
先に今の状況をお知らせしてしまいましたが、当時、参画した時は、
(サラリーマンチームでこんなに優秀な人たちがいるんだ。。。)
とある種の衝撃と感動を受けたのを覚えています。
仕事を愛し、責任感が強く、遊ぶときは遊び、ハートが温かく、
シンプルに言うと、とても人間臭く、真っ直ぐでひたむきな先輩たちでした。
そして、全員がイービストレードという会社を愛しており、会社を中心に創業メンバーが一丸となっていました。
週末も会社を良くする為に全員でMTGを行い、皆が週に何度も泊り込んで精力的に仕事をする。
会食や宴会があってどんなに遅くなっても会社に戻り、仕事をする。
僕のそんなガッツあふれる先輩たちの影響を受けてか、遅くまで残って仕事をしていましたし、泊まることもしばしばでした。
とにかく、仕事と会社に没頭する。
それが当たり前の文化でしたし、何より楽しかったです。
青春でした。
もう一度、タイムスリップできるのであれば、同じ先輩たちと僭越ながらもう一度、やりたい。
また、できることなら同じメンバーでどこかで待ち合わせして一緒にやりたい。
今の僕だったら、もっと皆の役に立てると思う。
2007年06月20日 03:41

