2009年03月17日

エッセイ 「自分の価値を下げられるのは自分のみ」

久々に偉そうにもエッセーカテゴリーを。

最近、自分の周りに起きることや相談を受けることがあり、思うことがある。

悩みや嫌な思いをすることの大概は人間関係に起因するものだ。

仕事でも友人関係でも恋愛でも。

僕は比較的若いうちから、仁義や筋(裏筋ではない)というものを教わってきたので、結構、そこにはうるさかったりする。

 

例えば、人と人が出会うには、誰かの介在によるものが多いと思う。

大概は自分がいる社会単位同士の関係が先にあり、それを接点とする場合や、社会単位でなくとも人が介在することが殆どだ。

だから、その先にある関係をきちんとわきまえる事は社会人として、基本的なことかもしれないが、自分の信用や価値を失わないためにとても大事だと思う。

 

今までも、がっかりすることが多かった。

 

結婚の報告も何もなしに、数年ぶりに連絡が来たと思ったら、何か困ったことの相談だったりとか。

挙句には、報告の無かったお詫びや挨拶も無く、困っている本題だけしか話さないとか。

以前にも親族の紹介で入った人が取引先と縁あって結婚したものの最後の最後まで、そもそものご縁の発端となったうちの親族に一言の挨拶も無かったりとか。

 

昔はこの手のことに腹が立ったし、さらに僕の先に関係がある人に不義理をしているなら、なおさら腹が立っていた。

でも、最近は、自分でもオッサンになったのか、鈍くなったのかはわからないが、

’僕が損をするんじゃない。結局は本人が自分で自分の価値を下げているから、いいんじゃない。’

と飄々と流している自分がいます。

 

多分、そういう方々って、自分がされても何も思わないから、相手にしても何も思わないんだと思う。

 

人間誰しも、言いにくいことはあるし、何かしらの事情でいえなかった事は誰しもあると思う。

ただ、それを認識していればこそ、心のどこかでそれをお詫びなり報告なりするタイミングを待っているものだ。

しかし、そうなれるのは、今の自分の人間関係の形成のルーツをきちんと自認していればこそです。

 

自分の夢を叶えようとしたり、より良い人生を送ろうとすれば、それは多くの人の助けが必要だ。

その助けとは故意に働くものもあれば、いわゆる’ご縁’で偶発的に働くものもある。

ただ、偶発的に思えるものでも、人と人でつながっている以上、関係ないと思っていても、その関係は切っても切れないものだと思う。

なので、人と人の出会いに感謝すると共に、そのきっかけを作ってくれた人だったり、組織・社会に感謝の気持ちを忘れないでいようと少なくとも僕は思う。

僕に自分に子供を授かる機会があったとしたら、わが子には、勉強も運動もなにも出来なくてもいいから、人に対する感謝の気持ちだけは持てるように徹底的に教育しようと思う。

感謝の気持ちを持てない人は、薄っぺらい愛想は出来ても、本当の支援を受けることもなければ、誰かに与えることもありません。

それはそれでオヤジ臭くいえば、本人の人生なのでいいのですが、なんとも勿体無いと思ってしまいます。

かくいう僕も完璧ではありませんが、’すくなくとも’僕は大事にしていこうと思っています。

P.S
30歳を超えてから、急激に怒ることが減りました。
20代は本当に血の気も多かったし、自分が生意気だったと思います。
でも、怒ることって感情なので、相手に対して感情があればこそなのかもしれません。
それが減退した自分は、’結局、めぐり巡ってあなたが損をするんだからいいんじゃない。でも自分は気をつけよう’って無機質になっていると思います。

考えてみれば、かくいう自分も30を超えてから、言われることがめっきり減りました。
家族や恩師、親友、同士と思われる人からのみになってきました。なので、とても自分の立ち振る舞いを客観的に気をつけるようにしています。

言われるうちが華とは、よく言われたものですが、いい大人がいい大人にいちいち、指摘なんてしてくれなくなります。

自分の価値を下げるのは、他の誰でもない。それは自分自身だと思う今日この頃です。

2009年03月17日 23:27

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