2006年07月13日

NELCO時代 その5

ちょっと掲題から話が脱線しましたが、NELCOを辞めるとき、様々な思いがありました。

それは採用してくれた人事部の後藤さんへの思いだったり、忙しいながらも常に余裕を見せて色々教えてくれた指導員だった池田さんだったり田中先輩だったり。

辞める辞めないと我儘を言いつつも文句一つ言わず受け止めてくれた当時の吉田チーフだったり、勝部リーダーだったり。


当時の僕は今でこそ思えば、不義理を多く行っていたと思います。


若さゆえだったかもしれませんが、お会いすれば、やはり元上司は上司ですし先輩は先輩です。

その気持ちは今でも忘れないようにしようと思っています。


また、当時は同時にとても悔しい思いをしました。

同期からは同期で最速で辞めたこともあり、様々な噂話がありました。

「どうせ、どこに転職しても一緒よ。」

「3年は経験ないとどこいっても駄目よ。」

「絶対、失敗するわよ。」

とにかく色々なことを言われました。


さらに当時付き合っていて今の妻である彼女の友達からも様々なことを言われました。

四谷にある帰国子女が多い某有名大学を出ていた彼女の同期はご多分に漏れず一流企業に勤めていた事もあり、プータロー同然となった僕に様々な批評がありました。

今から思えば、どうでもいいことなのですが、とにかく悔しかった。

決して逃げて辞めたわけじゃない。

「やりたいことがあって、なりたい自分があって、その為の手段として次の道を決断したんだ。

そんな陰口叩いているお前らは、本当は辞めたいのに辞められなくて僻んでいるからそんなこというんじゃないか。

だって、会社の愚痴をいつも言っているじゃないか。

自分に嘘をつくなよ。」


と思ったのと同時にとにかく、悔しくて悔しくて、


「絶対に見返してやる。」


そんな思いが支えとなり、ちょっとめげそうになったときも頑張れたような気がします。

その後、経験と実力と経済力がつくに比例してそれらがどうでもよくなってきたのですが。。。。


当時は若かったと思います。


それと、とても大事なことですが面接をしたり、やめて行った弊社の社員にしても会社の悪口だったり上司の悪口だったり、社長の欠点をつつく人が居ますが、僕は自分の経験上、そういう人には注意を払います。


僕も最初はNELCOに対して配属先に対する不満だったりと色々とあったものの。。。

企業とはもともとあるものですし、その企業を自分なりに調べて選んで志望したのは自分自身です。

誰にお願いされたわけでもなく、誰のためでもありません。

それを会社のせいだったり、上司のせいだったり体制を理由にして自分をかばうのは筋が違うと思います。

しつこいようですが、自分で選んだわけですから。

数百万ある、「じゃんけん」する相手を自分で選んで、

「後出しされた。」

というようなものです。


僕は退職の際には、本気でそう思っていました。


だからこそ、今でも僕はNELCOの方たちとは交流があります。

およそ、そう思えない人は前職の人たちと全く交流がないか、あっても同じようなネガティブな人たちとネガティブな交流でしかないでしょう。

どんな理由があるにせよ、

「自分で選んだ」


という自己責任の当たり前の感覚を当たり前に持って欲しいと思います。


P.S

笑えるのは愛おしい母親で、旧日商岩井グループの中核子会社に入社したこともあり、親族に言いふらしていたみたいで、その親族も親族で株価をずっと調べていたみたいなのです。

で、退職の途端に、

「恥ずかしくて辞めたなんていえないわよ!」

といわれ続けていたのですが、

今でこそ、

「うちの息子はIT社長なのよ~。」

といっていることです。

IT社長といっても実態は中小企業なのですけど。。。

そんな母を微笑ましく思います(笑)。

05:54

NELCO時代 その4

それは、旧日商岩井が旧NTT-Xと合弁会社で作ったイービストレードへのお誘いでした。

イービストレードは、久保さんと同期の駒谷さんが当時の日商岩井の社長に直々にプレゼンして作ったITの戦略子会社でした。

商社の中でも史上最年少役員誕生ということもあり、テレビ東京のワールドビジネスサテライトをはじめ様々なメディアに取り上げられました。
(ミーハーですが、僕もちょっと出ました。但し立ち食い蕎麦を食っているシーン。)

僕はITをわかってはいるものの、実務経験が乏しかったのでとにかく実務が積みたかったこともあり、様々なことに貪欲に吸収に勤めました。

が。。。


一方で

・自信過剰

・世間知らず

・無邪気

だったこともあり、久保さんには様々な側面で無理難題を言ったりと余計な苦労と心労をお掛けしたと、今でも恥ずかしい気持ちになります。

イービスでの経験の話はまた、追々。。。


つづく。。。

05:01

NELCO時代 その3

そんなNELCO時代で大きな出会いがありました。

もともと、成長産業であるIT業界でその可能性が高い商社で新規事業の経験が積みたいと思っていた僕はそれに対するあらゆることに気を張っていました。

そんな中で、通信事業者向けに大規模なハードを売っているちょっと異色なカルチャーを持った3つくらい離れたシマに久保先輩が居ました。

久保先輩は当時の日商岩井の情報産業本部出身でNELCOに出向しており、体格も良く、サンフランシスコ(シリコンバレー)にカートを引きずりながら出社し、そのまま成田に向かうような、いわゆる商社マンでした。

社内でも存在感があり、精力的に仕事をこなし肩で風を切って歩くようなそんな印象でした。

そんな久保さんに何か惹かれるものを感じ、かつ同期がそのチームに居たこともあり、コピー機の前でコピーを取っている際に、僕は声をかけました。

「どうも! 新人の渡部です。同期の○○はご一緒ですよね?奴は頑張っていますか?」

その言葉がきっかけだったのと、当時タバコをすっていた久保さんと僕は喫煙所である非常階段で会う機会が多く、シリコンバレーの会社の話だったり、新規事業の話を良くしてもらいました。

また、チームが違うにも関わらず、ランチをご一緒させていただく機会も多くなり、次第にかわいがってもらうようになりました。

当時、やりたいことがなかなか出来ず、焦っていた僕は退職を意識するようになったのですが、その際にも、

「久保さんの下で仕事したい。」

と思っていた僕は無邪気にも、

「僕を引っ張ってください!」

と社内メールしたのを今でも鮮明に覚えています。

当然ながら人事権が無かった久保さんからは上司に筋を通すようにと戒められました。


その後、退職を決意し連絡をすることになるのですが、その際も

「渡部君、新たな門出おめでとう!是非、頑張ってください。」

と社内メールを頂いたのを覚えています。

懐かしいのですが思えば、8年前の出来事でした。

その後、退職し3ヵ月後には失業保険も切れ、実家からも追い出され、実務経験の乏しさを痛感し、厳しい時期があったのですが、その時にも久保さんから助けられることになりました。

04:36

NELCO時代 その2

NELCO(ねるこ=日商エレクトロニクス)では、本当に多くの経験を積ませてもらいました。

僕が在籍していたのはたったの半年だったのですが、その半年間は様々な葛藤や苦悩がありました。


当時の背景を述べさせて頂くと、まさにITバブル到来の時期で、米国はシリコンバレーのベンチャー企業がとても勢いづいていたときでした。


特に印象的だったのはプッシュ型の情報配信の超有名企業であった「ポイントキャスト社」がその後、倒産したりもしました。

そして、サンマイクロシステムズ社も99年当時はかなり勢いがあり、その代理店だった伊藤忠テクノサイエンス(通称:CTC)という伊藤忠のIT子会社も上場の際には、親会社の時価総額を抜いたくらい勢いがありました。

上場当日は青山は伊藤忠本社がその初値を見て、大いに賑わった話も聞きました。


とにかくそんな時代でした。


しかも、その後、22歳で退職した僕が青臭い事業計画を持って、投資家や弁護士、弁理士に話しを持っていってもITでかつ若いというだけで、簡単にアポイントが取れる時代でした。

今ではありえないのですが、本当にそんなバブルな時代だったのです。

話を元に戻しますと、NELCOに入社後、以前のブログで書いたとおりヴァーチャルリアリティー(以下VR)の事業部を希望していた僕はネットワーク事業部といういわゆる、シリコンバレーのベンチャー企業が開発した製品であり情報産業のハードウェアやソフトウェアを販売する事業部に配属されました。

当時、VRがやりたかった僕は、

「え~~~~、ま~~~じ~~~~!!!」


とショックを覚えつつも、「シリコンバレー」のキーワードである事。

さらにはそもそも、オールドエコノミーに配属されたくなかったから、IT商社を志望したこともあり、頑張りました。


が。。。。


しょせん、ITを知っているとはいえ要するにシリコンバレー製品を扱うということは全然意味が違うわけで大変なことでした。

なにかというと、配属されたチームが半導体メーカーの技術者相手だったこともあり、顧客が技術面に凄く強かったのです。要するに営業より詳しい技術のプロ相手に商品を売るわけです。


余談ですが、このとき、技術者相手にはったりをかまして、だけれども知らない単語をメモして帰社後、猛勉強を繰り返し、次回は完全武装して訪問することを覚えました。
とにかく、マウントを掛けるとか、ARPANETだのSCSIだの、カーネルだのクライアント・サーバだの、QosだのSoralisだの、ベル研究所だの不可解なワードが色々と飛び交うわけです。

とにかく、難しい顔をしながら、

「なるほど。。。」

とかましつつ、メモを取る、、、、見たいな。。。

で、次回は

「アレですよね、、、アレはナニですよ。。。」

というわけです。

でも、この時、猛勉強したのが基礎知識として今ではとても役に立っています。

さらに追い討ちをかけるようにE-Mailでは日商岩井本体の文化もあり、略語が飛び交う。。。

例えば、サンクスも「TKS」だったり、不在時の電話のメモも「PCB(つまりPlease call backの略)」だったりと全くもって意味不明でした。。。

まさに暗号解読でした。。。


つづく。。。

03:46

日商エレクトロニクス時代(NELCO時代)

ふと、日商エレ(通称:NELCO)時代を思い出しました。

NELCOを志望した理由は以前のエントリーで書いたとおりなのですが、内定後の懇親会の時にこんなことがありました。

いわゆる内定者だけで集まる懇親会があったのですが。。。


不覚にも。。。


確かバイトで終電で帰るはずがお店が忙しくて、いわゆる「通し」といって朝まで残業することになり、店を閉めたら6:00頃で、お疲れさん会でそのまま店で飲んで帰宅が9:00頃で、12時間以上仕事していたこともあり、疲れ果てて爆睡してし舞いました。


これらの経緯は言い訳なのですが、要するに、内定者懇親会が15:00スタートだったと思うのですが、爆睡していた僕はNELCO人事部からの電話で起こされることになりました。。。。


今から考えてもありえないほど恥ずかしい思い出なのですが、15:00スタートなのに僕が来ないので16:00頃に人事が心配して電話をくれたのです。


本当に恥ずかしい失態です。


寝ぼけながら電話に出た瞬間に、飛び起きたのは言うまでもありません。

もう、言い訳をするまでも無く、、、、

「すみません!!!!寝てました!!!!大至急、向かいます!!!」


と10分で支度をしてダッシュで向かったのを覚えています。


しつこいようですが、本当にありえない失態をしてしまったにも関わらず、温かく懐深く笑って迎えてくれた人事部の後藤さんには感謝です。


ほんと、済みませんでした。。。


その後、同期の皆が自己紹介が終わっている中。。。


「じゃ、渡部君に自己紹介してももうらおうか!」


と、一人で自己紹介させられたのは言うまでもありません。


更に続きがあります。

これは僕の自慢話になってしまうのですが。。。

確か、この内定者懇親会の前だったか後に課題を出されました。

それは、99年入社だったので98年に出された課題で、当時出始めた

「電子マネーと当社の取り組みについて」

というものだったと思います。

ちゃんと日経新聞を読んでいた僕は「MULTOS」という企画が発足したばっかりで、新聞にも載っていたので良くわかっていました。

いわゆる日本を代表する家電メーカーが集まって色々と構想を練っていたのですが、各社の思惑もあり足並みが揃っていないような側面がありました。

この課題はエキサイティングで色々と想像力を働かせて書いたのですが、人事部がそれを10位まで評価して名前とその評価内容をMLで発表していました。

僕は。。。。


2位の評価をもらいました。

未だに1位で無かったことが、とても悔しいのですが人事部の評価によると今から思うと極めて全うでした。

それは、要するに殆どの人がネガティブな論文しか出していなかったようで、


「ネガティブなことを永遠と綴ったところで、いったい、どんな価値が弊社にあるのでしょうか?何か生産的なものが生まれるのでしょうか?」


というメッセージだったのを鮮明に覚えています。


その通りで、ややもすると何か新しいことを使用とするとネガティブな意見がでがちです。

でも、ビジネス。

いわゆるIT業界にいる我々としてはその技術を使ってどのような価値想像を行うか?が大事になってきます。(商社マンはなおさらです。)


これも、

「俺って凄いんだぜ!」

ってことにつなげたくは無いのですが、当時の僕は電子マネーとITを使ったらこんなことが出来るんじゃないか、というようないわば青臭い提案を沢山だしました。

詳細はデータが残っていないので忘れましたが、唯一覚えているのが、電子マネーによって社会が変わるであろう、その一つの表現として、かつあげの仕方が変わるかもしれないというものでした。


今までは、

「おら!金出せ!」

というものだったのが、


「おら!これに金送信しろ!」

というものでした。

最近でこそ電子マネーでシェアを獲得しているEdyがユーザー同士で送金が可能になりましたが、98年当時、「絶対そうなる!」と思っていました。

今後は間違いなく、お金は紙媒体ではなく、電子媒体化が加速すると思います。


大学四年生だった当事、イメージしたことが本当に現実となるのはもうちょっと掛かると思いますが、そんなに遠い将来でもないと思います。

不謹慎ではありますが、「かつあげ」のあり方が本当にそうなったら、ちょっと感慨深いものがあるかもしれません。


大分、話は飛んでしまいましたが、こんな非常識な僕を海のように深い懐をもって採用してくれた人事部の後藤さんには今でも感謝しています。


NELCOでの経験とその後に出会う、当時のネットワーク事業部の久保先輩との出会いが僕の人生を大きく変える、とても良いきっかけになったのでした。

つづく。。。

03:04

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