2006年07月04日
起業のきっかけ その2
特に今のワイズネットの前身といいますか、生い立ちはイービストレードのクリエイティブ事業部の製作部門からスタートしたものでした。
当時、日商岩井の子会社ということもあり、特損を出した後だったこともあり、雇用がややこしく会社を持っていた僕は業務委託という形態で一緒に参画させてもらうことになりました。
当然、事業の成功のために尽力していたのと、同時に足元のキャッシュが絶対的に大事だと思っていた僕は、日商岩井の関連会社や取引先から沢山あるクリエイティブの案件をスルーしている姿を見て、自分のポジションを見つけて確立するように動きました。
そして、今のワイズネットがあります。
その当時は、個々人に明確なミッションやタスクを与えられるわけでもなく、個々人が会社にとって必要なタスクを認識し、そして自分ができることの接点を見出して、何かしらの価値提供と創出を行う、そんな文化とマインドで皆、頑張っていたと思います。
本当に良い経験を積ませてもらいました。
実は、この今までの経緯を詳細に書きたいのですが、まだその秋(とき)ではないと思っていますし、様々な思いがあるので、大雑把に書かせて頂いてます。
いずれ、秋(とき)が来たらきちんと、整理して起承転結にまとめて書こうと思っています。
今回、一番、お伝えしたかったこと。
最初に書いた、起業家の格好良いとか、お金持ちになりたいという無邪気な思いはすぐに崩れ去ることになりました。
特にお金持ちになりたい!
という思いです。
それが、意外に早く崩れ去れました。
ルーツを辿れば、渡部家はそれなりに裕福な家庭でした。
ですが、同時にとても堅実であり倹約一家でもありました。
その中で、僕だけが唯一、
「ブランド男」
と揶揄されるほど、ちょっと浮いた存在でもありました。
実はこのブログ、母親も含め家族も見ているのでこんなこと書くと怒られますが、要するに「ケチ」だったわけです(笑)。
それがたまらなくいやで、早く自立して稼いで金持ちになりたいと思っていました。
そして、歴史が無く、若い人たちの方が有利だったこともあり、意外に早く、儲かり始めました。
(そもそも個人事業主の延長だったので当たり前なのですが。。。)
ご多分に漏れず、それなりの身なりをしたり、ギロッポンに夜な夜な繰り出したりしたのですが、その熱は意外に早く冷めてしまいました。
気づいたのは、僕はそこまで贅沢な人間ではないということでした。
それなりの高級外車も買えたと思いますが、やはり、欲しいとは思いませんでした。
また、フランク・ミュラーの時計が欲しいと思った時もありましたが、結局、買いませんでした。
(厳密には「浪費」を抑えれば買えたと言うレベルです。)
面白い程にお金で買えるものにどんどん興味を失っていきました。
決して皆さんが想像するような凄い年収があったわけでは勿論、ありません。
その歳にはそこそこの年収があったという程度です。
ですので、本当にそもそも、贅沢な人間ではなかったのです。
(本当に贅沢だったら、手に入るものは絶対に買っていたと思いますし、事実、そういう方も居ます。それは価値観なので善悪の問題では決してありません。)
そこで、大きな壁にぶつかりました。
(それじゃ、なぜ、起業しているのか?)
という問題です。
ただ単にリスクリターンのバランスを考えたら、実績を引っさげてIT業界であればそこそこの年収で就職することも可能だったと思います。
勿論、自分のやりたいようにやれるという部分は起業の醍醐味の一つではありますが、リスクと引き換えでもあります。
これは半年程度、悩みに悩みました。
確か当時25歳くらいのことだったと思います。
ふと足元を見て気づいたのは、いつも遅くまで、時には徹夜で頑張ってくれている社員が居る。
仕事を振ってくれる先輩たちが居る。
そして、実際にお金を支払っているクライアントがいる。
本気で叱ってくれる先輩や師匠が居る。
成長を何よりも楽しみにしてくれている恋人や家族が居る。
とにかく、いろんな人に支えられて今の自分があるということでした。
決して、物ではなく、「人」、「仲間」、「家族」、そんなキーワードでしょうか。
お金や物ではない、全く違ったモチベーションというか自身のエネルギーのぶつける新しい対象をおぼろげながら見つけていったように思います。
人は誰もが「人」が集まる社会の中に生きている。
その集合体が様々な社会単位があるわけで、それが家族だったり、学校だったり、部活であったり、会社であったり。
その社会単位の一翼を担ったり、人によっては社会単位を作り上げ引っ張ったり。
その形態は様々であるが、その社会単位に誰もが所属している。
その中での存在意義を得なければ人は幸福を味わえないと思うし、それが人が人である所以だと思う。
今でこそ、そう思います。
更に、同世代の起業家の友人に聞くとやはり、同じことを聞きます。
最初は父親の年収をいかに越すか。
とか、
銀座でピンドンを開けたいとか。
結構、純粋というか無邪気なモチベーションを起業のエネルギーにしている人が多く、逆に20代そこそこではそれが歳相応の健全なモチベーションでもあると思うのです。
ですが、精力的に仕事をこなしていき、ある一定まで行くと同じような壁にぶつかっていると思います。
社員に
「家族に自慢できるような会社にしたい」
とかです。
表現こそ違えど本質的には皆、お金や物ではない次のステージのモチベーションを見出し、更にそれを達成すると更に本質に近づく何かを探す、それをずっと繰り返すのではないかと思います。
つづく。。。
P.S
今後も、ちょくちょく、過去の成り行きや失敗談等を書いていきたいと思います。
2006年07月03日
起業のきっかけ
僕はまだまだ、ひよっこなのですが、23歳で起業したということもあり、恐縮ながらよくこんなことを聞かれます。
「いつから起業しようと思ったのですか?」
答えは決まって
「大学生の頃からでした。」
と答えます。
事実、そうでした。
そう思ったきっかけといいますか、受けた影響といいますかそれは今から振り返ってみると様々なな要件があります。
が、何よりも一番、大きい事件が僕にはありました。
20歳の頃です。
生死が関係していることもあり、このブログで書くにはあまり相応しくないので、詳細は割愛しますがその事件をきっかけに自分をとても見つめなおすときがありました。
人生とは?
生きるということとは?
などなど、本当に多くのことを考えさせられるドラスティックな出来事がでした。
生があることの喜びを噛締め、自分の人生、納得のいくような生き方をしよう。
失うものは何もないのだから、絶対に悔い残らない生き方を思いっきりしよう。
これが根本的な思想といいますか、きっかけだったと思います。
具体的に起業家というものを意識したのは、以前、ブログでも書いた学生時代にアルバイトしていたN社長の影響が多かったと思います。
多感だった当時、40代でお店を何店舗か持ち、高級車ジャガーで颯爽と現れてくる姿や経営者の姿勢というものに強く惹かれたのを記憶しています。
というのは事実なのですが、簡単に言うと、経験も視野も狭かった当時の僕は純粋にその姿が格好良かったのと、お金持ちになりたかったというのが受けた影響で本音のところでした。
(僕の過去の出来事とそのN社長の影響が有機的に結びついたように思います。)
そして、IT商社である日商エレクトロニクスに入社することになるわけですが、就職活動のときにどこもかしこもしっくり来なかった中、一番、惹かれたのが同社でした。
成長産業である情報通信に特化した商社であること。
マイクロフィッシュといったフロー収益の柱があること。
そして、なんといってもヴァーチャルリアリティー(仮想現実)の技術というか情報が一番、進んでいた企業でした。
これはですね。。。
わくわくしたのを覚えています。
実際に有明のショールームで体験したのですが、ペン型のスティックを動かすとディスプレイ上のボールがそれに連動して動くわけです。
ペンを右に動かすとディスプレイのボールも右に動く、そんな感じです。
で、そのディスプレイの中にヴァーチャルな四角い粘土があるのですが、ペンを動かしてそのボールを粘土の中にぶつけると、そのペンが更に連動して「硬い感触」が指に伝わってくるのです。
さらにさらに。。。
ボールで粘土をくり貫くこともできて、くり貫くときはそのくり貫いている感触がペンから伝わってくるのです。
真正面からボールを入れて、ぐりぐり押して右側面から出したり上側面からくり貫いたり。
で。。。
その突き通した穴をもう一回、ボールを通すと穴が空いている箇所だけするすると通る感触があるのです。
このデモは入社したときに研修で実際に体験したわけですが、改めて、
「スゲ~~~~!」
と思ったわけです。
※もともと、シリコンバレーのとある企業の技術です。名前は失念しました。
で、この技術は実験がなかなかしにくい医療手術のシュミレーション等、様々な応用分野があると言われていたのですが、不相応にも
「この技術で何か新規事業を立ち上げたい!」
と無邪気に思って入社しました。
(当時は商社で新規事業の立上げを経験して、起業しようと思っていました。)
実際には、ヴァーチャルリアリティの事業部ではなく、ネットワークコンピューティング事業部に配属先されてしまったのですが。。。(笑)
が、実際にはこの事業部に配属され猛勉強したことが今のベースの知識になっており、とてもお世話になったと感謝しています。
また、日商エレ時代に出会った、旧日商岩井で情報産業本部から出向社員できていた久保先輩との出会い。
更には「社長失格」を読んで僕のしつこいオファーにしょうがなく付き合っていただいた板倉雄一郎さんとの出会いが、大きな転機となるとともに多大な影響を受けることになります。


