2008年05月09日
エッセイ 「惹きつける力」
先日のヒクソンカップにて、ヒクソン・グレイシーに挨拶をさせて頂き、直接、話をさせてもらって感じたことがあります。
それは、人を惹きつける力です。
ヒクソンは、何か実務が出来るわけではないと思います。
しかし、実務ができる人も含めて、今回の大会にどれだけ多くの関係者がヒクソンのために動いたか。。。
しかも、有能な人たちがお金でない部分で、どれだけ多くの人が精力的に動いたか。
(その代表たるものは連盟の理事だる渡辺孝真先生の他なりませんが)
大会運営のボランティアの人々、セキュリティ、ひいては競技者たちもです。
やはり、ヒクソン・グレイシーという人と実際に直接会って、短時間ではありましたが話をしたことで、その偉大さを改めて噛み締めました。
開会式での挨拶、閉会式での挨拶もそうでしたが、ヒクソン・グレイシーのメッセージは、崇高であり人の心に響きます。
その本質は、彼自身が言っているように、’柔術に人生の全てを捧げてきた’ならではの、ある種の仏教で言う悟りの境地を知っているように思います。
であればこそのメッセージであり、そこに嘘偽りも一遍の曇りもないからこそ、人の心に響くのかもしれません。
今回の新連盟立上げ要旨も、ヒクソンが訴えているのは、柔術家と団体を第一に考え、柔術の本来のあるべき健全な姿を実現することであり、柔術宗家であるグレイシー一族筆頭であるヒクソンだからこそ、そのメッセージにはパワーがあります。
僕の大好きな銀河英雄伝説という小説&アニメがありますが、ヤン・ウェンリー提督亡き後、後継者に指名されて、一皮向けたユリアン・ミンツのこんなワンシーンがあります。
『人は人に従うのであって理念や制度にしたがうのではありません。それを唱えた人に従うのです。』
今回の連盟立上げも、同じ理念を誰かが唱えたところで、動く人は少ないでしょう。
ヒクソンが唱えればこそだと思います。
よく、経営者向けの本には、
『理念が大事!』
といいますが、それは全くの嘘で、人は理念についてくるのではなく、理念を唱えた人についてくるのです。
大事なのは、唱えている理念が果たして唱えた人に相応しいかどうかです。
自分が歩んできた歴史や経験を元に自分の言葉で発しないと、どんなに崇高な理念を掲げても人はついて来ないと思います。
その企業も永遠の課題である企業組織における’魑魅魍魎の跋扈’ですが、そもそも魑魅魍魎の駆逐にエネルギーを使うよりも魑魅魍魎を入れない企業体を作ることの方があるべき姿だと思います。
僕自身、会社でキャンプを張ったり、やきそばカップ麺の捨て湯を観葉植物の植木に捨てたり、Yahoo!ニュースのチェックが日常業務で週末はひたすらパチスロでせっせと負債残高を膨らましている馬鹿者達を扶養していた時点で、嫌味ではなく、素直にリーダーとして僕が大失格であったと思います。
”あるべき人があるべき理念を唱えることによって、あるべき人が集まり、あるべきエネルギーが生まれ、あるべき価値が生まれる”
と思います。
それを鑑みると、僕は僕の今までの人生と今、そして将来を見据え、あるべき理念を見つけ、あるべき理念を唱えない限り、あるべき人は集まらず、あるべき価値の想像は成し得ないと思います。
ヒクソン・グレイシーとの邂逅。
短時間ではありましたが、とても多くのエネルギーと叡智を貰った気がします。
次に会うときはもっと成長して、もっと多くの叡智と気づきをもらえるようにしたいと思います。
2008年02月22日
エッセイ 「歴史は繰り返す」
歴史は繰り返しますね。
でも、なぜ、歴史は繰り返すのかを考えました。
答えは、人には命があるからです。
エルフのように永遠の命を持つことが出来たら、恐らく歴史は繰り返さないと思います。
(ミクロレベルではあるでしょうが。)
歴史が繰り返すのは、人にはライフタイムがあり、つまり時間が限られているかです。
で、年を取れば取るほど、ノウハウとエッセンスが溜め込まれますが、死んだ瞬間にそれがリセットされます。
新しく生まれる人はゼロからのスタートです。
勿論、本等、先人の残したものも多々ありますが、もう一つの壁は、
「経験」
があります。
本や話で聞いてどんなに学習しても、痛みや感動が伴う経験を通してこそ、本当に理解できたといえます。
例えば、スポーツで優勝した、なんて経験はその人やそのチームでしか絶対にわからない感覚でしょう。
それと同じです。
人はその、年齢と共に経験を重ね、死と共にその経験がゼロになります。
そして、新しく生を受けたものは経験値ゼロからスタートです。
先人の残した本を見ても、頭でわかっていても本質的には経験していないことなので、実際はわかりません。
それを繰り返すから歴史は繰り返すのだと思います。
ただ、人間の本質として、安心・安定を求める生き物だと思います。
原始時代から遡っても、狩猟型では、常に狩りをしなくてはいけなく、安心・安定を求めた結果、農耕が誕生しました。
現代でも、スポットの案件を求める狩猟型の会社もあれば、農耕型をいち早く築き上げた会社もあります。
もっというと結婚制度なんかも人間が求めている安心・安定を逆手に取った一制度であると思います。
借りに結婚という概念がこの世に無かったとしたら、やっぱり、最後は一緒に居たいと思う人と浮気もせず、安心・安定を求め、それを壊すリスクは一切、排除する行動を取ると思います。
なんで、人間は学習していなんではなく、歴史に学んでいないわけでもなく、ただ、経験していないだけだと思うのですよね。
で、先人が残した様々なものは、予習・復習を効率化させるものであって、あくまで経験がベースにあると思っています。
柔術にしてもビジネスにしても予習をして、経験を高める。
もしくは経験後に復習して理解を深める。
なんで、全ては経験が中心にあると思う次第です。
2008年01月30日
エッセイ 「そして仲間とは」
そして、またエッセーです。
僕も30歳になったからにはちょっとビヘイビアーというものを考えて、あまり過激に書かないように、一応、大人としての立ち振る舞いを心がけているのですが、どうも、筆、、、、というかタイプが熱くなることがあるので、若干自制気味に行きます。
くだんの日記でも書いたとおり、小職も僭越ながら、イケイケ、アゲアゲな時が蜻蛉のごとく短期間ではあったもののございました。
その当時を今、振り返ってみれば正当な理由があり、同じく同世代で頑張っている外資系、商社、広告、メディア、弁護士と色々とお付き合いして、そういった人たちとの人脈作りだったり、刺激を受けることだったり、ひいては商売につなげることだったりと、それなりの思いと狙いがあってギロッポン辺りで散財していたわけですが、今から思うと全く持って、、、とまでは言いませんが、投資効率はきわめて悪いです。
ですが、これすらもやってみたからわかったもので、むしろ20代のうちにやっておいて、気づいて良かったと思っています。
結論から言うと、なんだかんだ、商売が続いている、もしくはめぐりめぐって一緒にお仕事をさせてもらっている、とうか信頼関係を持って付き合いが続いている人脈とは、、、、今となってはズバリ言います。
それは、
『一緒に共通目標を持って一緒に取組んでいた仲間たち』
です。
飲んで騒いで、ドンちゃん騒ぎしている人脈は大した人脈じゃないです。
その時代の流行をおったCDのごとくとっかえひっかえのごとくです。
勿論、今となって振り返ってみればの話なのですが、なんだかんだ言って、その人脈だったり一緒に過ごした時間から得たものは大きいのですが、僕が言いたいのは、いずれそれに気づき、軌道修正し、本質的な一緒に何かをやる、もしくはやれる仲間を貴重な時間を過ごすことが大事である、ということです。
これまた、気づかない人はいつまで経っても気づかず、ある意味、達観しているのかも知れませんが、まあ、ビミョウですよね。
今日もこんな感じで。
エッセイ 「人生のチャンス。それは今にこそあり。」
今日は、放送作家のUD先生と話す機会があり、人生のチャンスというものを改めて考えさせられ、また今、自分がその秋(とき)にいると思い、このテーマの筆を取りました。
な~~~んて、ちょっと恰好いいですが、今日はちょっといいこと書けるかな。
現在30歳となり、まだまだ少ない自分の人生を振り返ってみれば、後の人生を大きく変えるチャンスやポイントは実に少ないと思う。
僕の経験に限っていて場、せいぜい、2,3回。
多分、それは自分自身の問題だと思うが、それらを割り引いても、そんなに多くは無いと思う。
30歳の僕は20代を振り返って自分を大きく変えたチャンスというかターニングポイントは大きく3回。
一つには、22歳の時に出逢った板倉雄一郎氏著書の社長失格という本です。
板倉氏の起業家としての盛衰と倒産、自己破産に至るまでのノンフィクションのこの本を読んだのがきっかけで、僕は板倉さんに何度もしつこくメールを送り、板倉氏に会うことが叶いました。
ホテル日航東京であったのですが、弟子入りを希望してた僕に宿題を出されて、二つ返事でやりますと答えました。
全く迷いは無く当時の彼女にも手伝ってもらって宿題を完成させ、なんとかOKを貰いました。
この板倉さんとの出会いがサラリーマンだった僕がサラリーマンを辞める経緯に至り、その後、多くの起業とビジネスの教えを請えることになりました。
二つ目はサラリーマン時代だった旧日商岩井グループ(現双日)の中核子会社だった日商エレトロニクスに入社下際、旧日商岩井の人事部、情報産業本部を経て出向していた久保さんとの出会いでした。
だだっ広いフロアで明からに他とは違う風格で肩で風を切って歩くタイプのデキル商社マンの久保さんに近づきたくて、コピー機の前にいた久保さんに声を掛けて顔を覚えてもらったのが始まりでした。
その後、先述の通り、僕は退職に至るのですが、その後の起業がどうにもこうにも上手く行かなくなり、失業保険も切れ、着る服も無くなり、生活費も底をつき、とにかく事業立上げの経験をしたいと思っていた矢先に、退職後も面倒を見てくれた久保さんから、
「社長直談判して日商の戦略子会社を作ったんだけど、若くてネットを知っている若い奴が必要なんだけど、来ないか?」
との誘いを受けました。
生活にも困っており、実務経験の乏しさにも困っていたので、二つ返事でやります、と答えたのを今でも覚えています。
全く、迷いは無かったです。
3つ目はまさに今です。
もともと、格闘技が好きでPRIDEを埼玉スーパーアリーナに見に行っていたのですが、それから数年経てグレイシージャパン時代からの練習生だった高校時代からの友人であるアルフレッドからの紹介で柔術を始めるに至りました。(その前にクリスチアーノ上西との出会いがあるのですが。)
で、その先生から、とあるプロジェクトを真っ先に持ちかけられました。
詳細はまだお話できませんが、これまた迷いはなく、二つ返事で
「やります!」
でした。
とりあえず、そのリリースにもう一息の段階に来ていますが、今、その仕事をしていて本当に幸せです。
理念も社会貢献もしっかりしているし、ニッチながら事業性もあり、、、
そんな仕事に携われてとても幸せです。
業界の構造、組んでいるパートナー。
そして、古くから創業しているネットのスペシャリストである我が社。
我が社はウェブデザインもシステムもマーケティングもワンストップでできる。
そんな人たちが
『目に見えない』
何かで自然と惹かれあい、自然に一緒にプロジェクトに取組んでいる。
大袈裟かもしれませんが、自分のビジネスマン人生において、人生が僕に「これをやるべきだ」と語り掛けているように感じます。
いや、これをやるために今までの経緯があり、今があるようにすら思います。
なんで、僕の30代はこの業界の為に全てを全力投球しようと思っています。
今日は決意も込めて。
2008年01月09日
エッセイ 「結果VS過程」
久々にエッセイです。
勿論、この二つは対峙させるものではありません。相関性の高いものです。
ですが、僕は過程の中にこそ結果があるのではないかと思っています。
もっと言うと、
『結果とは後からついてくるもの。過程とは楽しむこと。』
と思っています。
例えば、営業で言えば、結果とは『数字』です。
過程とは日々の業務です。
柔術で言えば、結果とは大会での成績であり、過程は日々の練習ということになります。
ゴルフも同じく、結果とはコンペ結果であり、過程は同じく日々の練習です。
ですが、一般的に、営業でもスポーツでも『結果』に重心を置いている人が多いと思います。
よって『結果』を中心に据え置いて『過程』である日々の業務や練習に励んでいる人が多いと思います。
それはそれで重要だとは思うのですが、僕はむしろ、その『過程』と言ったものを中心に据え置き、結果は後からついてくるもの、と考える方がより本質的だと思っています。
もう少し具体的な例を挙げれば、僕が通っているAXIS柔術アカデミーの渡辺先生が言っていた言葉に、
「大会に出るために練習するのではありません。良い練習をするために大会に出るべきです。」
と言っていた言葉に集約されています。
僕なりに勝手に意訳させてもらうと、大会に出て優勝するために柔術をやっているのではなく、柔術そのものがやりたいから柔術をやっているわけで、そうなると柔術をするということは日々の練習がベースになることだから、練習を楽しんで継続することが第一義で、優勝することが第一義ではない。
よって、大会に出る目的は勝ち負けを通して、自分の足りないところを知り、それを日々の良い練習をすることに生かすために大会に出る。そうすることで、日々の練習がより良いものになり、それが強くなることにつながり、継続もできる。結果として優勝等の結果に繋がる。
そういうことだと思います。
よって、その練習をより楽しく、良い濃く、より長く継続することが大事なことであり、それがあって始めて結果がついてくるのだと思います。
逆に大会成績に重きを置いている人は、負ければふてくされたり、練習を軽んじたりして、場合によってはもう辞めてしまう人も居るかもしれませんし、結果に重きを置くことで日々の練習が実は本質的ではなくなってしまうと思います。
営業も同じで、日々の良い業務をするために、お客さんに提案を行うべきで、提案を行って足りないものを感じ取る事で、日々の業務もより良いものになり、足りなかったものを習得し、視野も広がり、成長を実感しより楽しいものになるのだと思います。
考えてみれば、受験勉強も合格することよりも勉強・学びそのものを楽しむことが学力向上につながり結果として志望校の合格に繋がると思います。
営業であれば、営業活動そのものを楽しむことが、コミュニケーション能力だったり、専門知識だったり提案力の向上と言ったものにつながり、受注に繋がるのだと思います。
ゴルフも玉を自分のイメージどおりにコントロールして飛ばすという基本を楽しむことが結果としての良いコンペ結果に繋がるのだと思います。
そういえば、以前、柔術世界選手権で茶帯の優勝したジョンパウロは以前、僕にこんなことを言っていました。
「柔術は教えるのも自分がやるのも楽しいです。だから、休みが無くて毎日でも良いくらいです。」
彼は日々の練習やインストラクターの仕事を心底、楽しんでいるから結果として結果がついているのだと思います。
逆説的かもしれませんが、結果を出すには、その下積みといいますか、日々の努力が必要です。
もっと言うと柔術にしても、柔術に興味を持ったから始めたわけで柔術そのものを楽しむことが本質であり、営業職を選んだからには営業職に興味があるから選んだわけで、そうなると営業そのものを楽しむことが大事だと思います。
優勝とか営業成績は後からついてくるものです。
そして、楽しんでいれば、
『必ず』
結果はついてくると思います。
勿論、レベルの差はあるので負けることもあると思いますが、それこそ、自分がやろうとした、選んだ道を更に高いレベルで楽しむ為の糧に他なりません。
また、楽しさがわかるまで、一定の忍耐が絶対に必要です。
ゴルフだったら、最初は全然、玉が当たらず、楽しさがわからないかもしれませんが、それでも玉だけにたまに当る楽しい感覚というか楽しいカケラがあるはずです。
柔術でも僕はまだ全然、素人で白帯ですが、スパーリングで上の帯の人とやってボコボコにやられることがしょっちゅうですが、それでも楽しいと思えるカケラがあります。
営業も駆け出しの頃は社会も何も知らず、業界のことも知らず、コミュニケーション力も稚拙ですが、それでも商談を通して営業は楽しいと思えるカケラがあると思います。
そのカケラを頼りに、フィジカルトレーニングだったりイメージトレーニングだったり、ビジネスだったら新聞を必ず読む、業界知識を勉強するといった個人で地道に行う自主練が絶対に必要です。
(実際、これをやらずに腐る人が多いと思います。)
そして、さらに上流に遡ると、この世に自分が生を受けた以上、自分の人生そのものをどう楽しみたいかを考えることが、まずありきかも知れませんね。
久々のエッセーでした。

