2009年08月20日

エッセイ 「まずどの人間関係が先にあるのか」

久々のエッセイです。

僕がエッセイを書くなんておこがましいですが、最近、思うことがあり、考えもまとまったので、生意気にも人間関係のエッセイを。

人間は全ての人が社会と関わっている以上、誰かと出会う、知り合うのに自力なのか他力なのか、当然ながら二つに分かれる。

企業であれば、お客さんを直接開拓したのか、どこかのお客さんからの紹介なのかに分かれる。

個人であれば、バーやお店を介在してしるのか、はたまた合コンや結婚式二次会やパーティといった誰かの紹介なのかに分かれる。

企業であれ個人であれ、’自力’の場合はその後、相対する相手とどのような関係になろうが、2社、もしくは2人の間で完結します。

問題は誰かが介在した場合です。

僕が見る限り、多くの人が、この誰かが介在している関係をすっとばして、結果、本人が気づかないうちに信用を失っているケースが多いです。

これは学校では教えてくれないことでもあり、とてもデリケートかつ重要なことなんですよね。

基本的に誰かの紹介を受けた場合はその方の信用という貯金=バランスシートに載っていない資産を使ってくれています。

よって、紹介を受けた側は企業であれば、紹介者の信用、つまり顔に泥を塗らない為にも最大限の努力をしなければいけないですし、進捗は適宜、報告する義務があると思います。

これを’無料’と思ってしまってはいけません。

信用という資産を受けからにはしっかりやって、更なる信用でお返しするのが紹介者に対する礼儀です。

一方、関係が薄い、つまり信用があやふやな人を紹介されるケースもあります。

この場合は紹介者の粗相です。

要するに紹介する側も紹介する責任があります。

よって、実は紹介する方が責任重大であります。

紹介者には、紹介する相手は当方のメンツに掛けて大丈夫です、という信用の元に紹介しないと、紹介される側にとても失礼に値するわけです。

たまに取引先の若手が紹介してくれるのですが、やっぱり若手の場合は注意を最大限に払います。

今までどのような取引をしているのか、です。

めぐりめぐってたらいまわしのような案件があったりします。

その場合はどんなに売上げが苦しくてもご辞退します。

普通に考えて、’紹介者がギャランティーできない案件をなぜ、我が社が請ける事ができるのか???’

ということになってしまうからです。

この手の話を持ってくる人は、信用がた落ちです。

 

一方、直接取引になるであろう、新規の取引先に対しては徹底的に調べます。

帝国データバンクはもちろんのこと、人脈を駆使してあらゆる方面から徹底的に情報を収集します。

初訪問の際は、100%必ず、僕も同席します。

ありがたくも、その業界では重鎮でブランド力がある企業ともお取引させて頂いているので、その企業に失礼のないように配慮して調査するのも既存クライアントのブランドを大事にしたいと思うからです。

クライアントからすれば、「うちが使っている業者がどこと取引しているのか」、というのは当然ながら重要事項の一つだと思います。 

商売になれば何でもやる的な下世話な商売はしたくないですし。

たまにあるんですよね。。。

新規で上から目線で、これこれやりたいから、早く営業に来い、的なオファーが。。。

いやいや、当方も既存クライアントとコンフリクトを避ける為に調査やら調整が必要ですし、ほいほい営業にいって、やっぱり出来ません、の方が失礼だと思いますし。。。

というわけで、間口が広い弊社ホームページのお問合せがあることが問題であると経営的にしっかり反省し、お問合せには、ご返信には時間が掛かる旨を1ヶ月ほど前に記載させて頂きました。

 

少々、脱線してきたので話を戻しましょう。

 

個人レベルであれば、友人の行きつけの店に連れて行ってもらったとする。

その場合は友人のメンツもあるし、店と友人の関係もあるので、お行儀良く友人の顔を立てる飲み方をするべき。

また、自分の行きつけの飲み屋で他のお客さんと仲良くなったとしても、お店との関係が先にあるのを忘れてはいけない。

およそ、人間たるもの社会の生き物なので、自力よりもよっぽど誰かの介在(協力)によって、誰かと知り合い、人生が変わる場合が多い。

それが個人レベルであれば、ご縁とご多幸であり、関係が強い弱いに関係なしにその介在に感謝の念を忘れてはいけない。

女性からすれば、この関係をすっとばす男は確実に出世はしないのでオススメはしません(笑)。

また、この手の話は学校では教えてくれないとても大切な処世訓でもあり、これがわかっている男性が、本当の男かお子ちゃまかの判別のコンパスになると思う。

責任のない人生、もしくは責任を回避している人ほど、これらの意識が弱いように思います。

これらは、起業家だろうが、経営者だろうが、サラリーマンだろうが、全く関係のない話です。

男として責任感のある気概ある人生を送っているかに依存すると思います。

厳しいようですが、自分が可愛いと思っているレベルなのか、自分のことはさておき、自分の外側の何かを大事にしようとしているかの違いが本質であると思う次第です。

 

「その関係の前に誰が介在していたのか」

 

この立ち居地を決して忘れるべきではありません。

 

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2009年03月17日

エッセイ 「自分の価値を下げられるのは自分のみ」

久々に偉そうにもエッセーカテゴリーを。

最近、自分の周りに起きることや相談を受けることがあり、思うことがある。

悩みや嫌な思いをすることの大概は人間関係に起因するものだ。

仕事でも友人関係でも恋愛でも。

僕は比較的若いうちから、仁義や筋(裏筋ではない)というものを教わってきたので、結構、そこにはうるさかったりする。

 

例えば、人と人が出会うには、誰かの介在によるものが多いと思う。

大概は自分がいる社会単位同士の関係が先にあり、それを接点とする場合や、社会単位でなくとも人が介在することが殆どだ。

だから、その先にある関係をきちんとわきまえる事は社会人として、基本的なことかもしれないが、自分の信用や価値を失わないためにとても大事だと思う。

 

今までも、がっかりすることが多かった。

 

結婚の報告も何もなしに、数年ぶりに連絡が来たと思ったら、何か困ったことの相談だったりとか。

挙句には、報告の無かったお詫びや挨拶も無く、困っている本題だけしか話さないとか。

以前にも親族の紹介で入った人が取引先と縁あって結婚したものの最後の最後まで、そもそものご縁の発端となったうちの親族に一言の挨拶も無かったりとか。

 

昔はこの手のことに腹が立ったし、さらに僕の先に関係がある人に不義理をしているなら、なおさら腹が立っていた。

でも、最近は、自分でもオッサンになったのか、鈍くなったのかはわからないが、

’僕が損をするんじゃない。結局は本人が自分で自分の価値を下げているから、いいんじゃない。’

と飄々と流している自分がいます。

 

多分、そういう方々って、自分がされても何も思わないから、相手にしても何も思わないんだと思う。

 

人間誰しも、言いにくいことはあるし、何かしらの事情でいえなかった事は誰しもあると思う。

ただ、それを認識していればこそ、心のどこかでそれをお詫びなり報告なりするタイミングを待っているものだ。

しかし、そうなれるのは、今の自分の人間関係の形成のルーツをきちんと自認していればこそです。

 

自分の夢を叶えようとしたり、より良い人生を送ろうとすれば、それは多くの人の助けが必要だ。

その助けとは故意に働くものもあれば、いわゆる’ご縁’で偶発的に働くものもある。

ただ、偶発的に思えるものでも、人と人でつながっている以上、関係ないと思っていても、その関係は切っても切れないものだと思う。

なので、人と人の出会いに感謝すると共に、そのきっかけを作ってくれた人だったり、組織・社会に感謝の気持ちを忘れないでいようと少なくとも僕は思う。

僕に自分に子供を授かる機会があったとしたら、わが子には、勉強も運動もなにも出来なくてもいいから、人に対する感謝の気持ちだけは持てるように徹底的に教育しようと思う。

感謝の気持ちを持てない人は、薄っぺらい愛想は出来ても、本当の支援を受けることもなければ、誰かに与えることもありません。

それはそれでオヤジ臭くいえば、本人の人生なのでいいのですが、なんとも勿体無いと思ってしまいます。

かくいう僕も完璧ではありませんが、’すくなくとも’僕は大事にしていこうと思っています。

P.S
30歳を超えてから、急激に怒ることが減りました。
20代は本当に血の気も多かったし、自分が生意気だったと思います。
でも、怒ることって感情なので、相手に対して感情があればこそなのかもしれません。
それが減退した自分は、’結局、めぐり巡ってあなたが損をするんだからいいんじゃない。でも自分は気をつけよう’って無機質になっていると思います。

考えてみれば、かくいう自分も30を超えてから、言われることがめっきり減りました。
家族や恩師、親友、同士と思われる人からのみになってきました。なので、とても自分の立ち振る舞いを客観的に気をつけるようにしています。

言われるうちが華とは、よく言われたものですが、いい大人がいい大人にいちいち、指摘なんてしてくれなくなります。

自分の価値を下げるのは、他の誰でもない。それは自分自身だと思う今日この頃です。

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2008年05月09日

エッセイ 「惹きつける力」

先日のヒクソンカップにて、ヒクソン・グレイシーに挨拶をさせて頂き、直接、話をさせてもらって感じたことがあります。

それは、人を惹きつける力です。

ヒクソンは、何か実務が出来るわけではないと思います。

しかし、実務ができる人も含めて、今回の大会にどれだけ多くの関係者がヒクソンのために動いたか。。。

しかも、有能な人たちがお金でない部分で、どれだけ多くの人が精力的に動いたか。
(その代表たるものは連盟の理事だる渡辺孝真先生の他なりませんが)

大会運営のボランティアの人々、セキュリティ、ひいては競技者たちもです。

やはり、ヒクソン・グレイシーという人と実際に直接会って、短時間ではありましたが話をしたことで、その偉大さを改めて噛み締めました。

開会式での挨拶、閉会式での挨拶もそうでしたが、ヒクソン・グレイシーのメッセージは、崇高であり人の心に響きます。

その本質は、彼自身が言っているように、’柔術に人生の全てを捧げてきた’ならではの、ある種の仏教で言う悟りの境地を知っているように思います。

であればこそのメッセージであり、そこに嘘偽りも一遍の曇りもないからこそ、人の心に響くのかもしれません。

今回の新連盟立上げ要旨も、ヒクソンが訴えているのは、柔術家と団体を第一に考え、柔術の本来のあるべき健全な姿を実現することであり、柔術宗家であるグレイシー一族筆頭であるヒクソンだからこそ、そのメッセージにはパワーがあります。

 

僕の大好きな銀河英雄伝説という小説&アニメがありますが、ヤン・ウェンリー提督亡き後、後継者に指名されて、一皮向けたユリアン・ミンツのこんなワンシーンがあります。

 

『人は人に従うのであって理念や制度にしたがうのではありません。それを唱えた人に従うのです。』

 

今回の連盟立上げも、同じ理念を誰かが唱えたところで、動く人は少ないでしょう。

ヒクソンが唱えればこそだと思います。

よく、経営者向けの本には、

『理念が大事!』

といいますが、それは全くの嘘で、人は理念についてくるのではなく、理念を唱えた人についてくるのです。

大事なのは、唱えている理念が果たして唱えた人に相応しいかどうかです。

自分が歩んできた歴史や経験を元に自分の言葉で発しないと、どんなに崇高な理念を掲げても人はついて来ないと思います。

 

その企業も永遠の課題である企業組織における’魑魅魍魎の跋扈’ですが、そもそも魑魅魍魎の駆逐にエネルギーを使うよりも魑魅魍魎を入れない企業体を作ることの方があるべき姿だと思います。

僕自身、会社でキャンプを張ったり、やきそばカップ麺の捨て湯を観葉植物の植木に捨てたり、Yahoo!ニュースのチェックが日常業務で週末はひたすらパチスロでせっせと負債残高を膨らましている馬鹿者達を扶養していた時点で、嫌味ではなく、素直にリーダーとして僕が大失格であったと思います。

 

”あるべき人があるべき理念を唱えることによって、あるべき人が集まり、あるべきエネルギーが生まれ、あるべき価値が生まれる”

と思います。

それを鑑みると、僕は僕の今までの人生と今、そして将来を見据え、あるべき理念を見つけ、あるべき理念を唱えない限り、あるべき人は集まらず、あるべき価値の想像は成し得ないと思います。

 

ヒクソン・グレイシーとの邂逅。

 

短時間ではありましたが、とても多くのエネルギーと叡智を貰った気がします。

 

次に会うときはもっと成長して、もっと多くの叡智と気づきをもらえるようにしたいと思います。

 

 

01:18

2008年02月22日

エッセイ 「歴史は繰り返す」

歴史は繰り返しますね。

でも、なぜ、歴史は繰り返すのかを考えました。

答えは、人には命があるからです。

エルフのように永遠の命を持つことが出来たら、恐らく歴史は繰り返さないと思います。
(ミクロレベルではあるでしょうが。)

歴史が繰り返すのは、人にはライフタイムがあり、つまり時間が限られているかです。

で、年を取れば取るほど、ノウハウとエッセンスが溜め込まれますが、死んだ瞬間にそれがリセットされます。

新しく生まれる人はゼロからのスタートです。

勿論、本等、先人の残したものも多々ありますが、もう一つの壁は、

「経験」

があります。

本や話で聞いてどんなに学習しても、痛みや感動が伴う経験を通してこそ、本当に理解できたといえます。

例えば、スポーツで優勝した、なんて経験はその人やそのチームでしか絶対にわからない感覚でしょう。

それと同じです。

人はその、年齢と共に経験を重ね、死と共にその経験がゼロになります。

そして、新しく生を受けたものは経験値ゼロからスタートです。

先人の残した本を見ても、頭でわかっていても本質的には経験していないことなので、実際はわかりません。

それを繰り返すから歴史は繰り返すのだと思います。

 

ただ、人間の本質として、安心・安定を求める生き物だと思います。

原始時代から遡っても、狩猟型では、常に狩りをしなくてはいけなく、安心・安定を求めた結果、農耕が誕生しました。

現代でも、スポットの案件を求める狩猟型の会社もあれば、農耕型をいち早く築き上げた会社もあります。

もっというと結婚制度なんかも人間が求めている安心・安定を逆手に取った一制度であると思います。

借りに結婚という概念がこの世に無かったとしたら、やっぱり、最後は一緒に居たいと思う人と浮気もせず、安心・安定を求め、それを壊すリスクは一切、排除する行動を取ると思います。

 

なんで、人間は学習していなんではなく、歴史に学んでいないわけでもなく、ただ、経験していないだけだと思うのですよね。

で、先人が残した様々なものは、予習・復習を効率化させるものであって、あくまで経験がベースにあると思っています。

柔術にしてもビジネスにしても予習をして、経験を高める。

もしくは経験後に復習して理解を深める。

なんで、全ては経験が中心にあると思う次第です。

 

 

00:31

2008年01月30日

エッセイ 「そして仲間とは」

そして、またエッセーです。

僕も30歳になったからにはちょっとビヘイビアーというものを考えて、あまり過激に書かないように、一応、大人としての立ち振る舞いを心がけているのですが、どうも、筆、、、、というかタイプが熱くなることがあるので、若干自制気味に行きます。

くだんの日記でも書いたとおり、小職も僭越ながら、イケイケ、アゲアゲな時が蜻蛉のごとく短期間ではあったもののございました。

その当時を今、振り返ってみれば正当な理由があり、同じく同世代で頑張っている外資系、商社、広告、メディア、弁護士と色々とお付き合いして、そういった人たちとの人脈作りだったり、刺激を受けることだったり、ひいては商売につなげることだったりと、それなりの思いと狙いがあってギロッポン辺りで散財していたわけですが、今から思うと全く持って、、、とまでは言いませんが、投資効率はきわめて悪いです。

ですが、これすらもやってみたからわかったもので、むしろ20代のうちにやっておいて、気づいて良かったと思っています。

結論から言うと、なんだかんだ、商売が続いている、もしくはめぐりめぐって一緒にお仕事をさせてもらっている、とうか信頼関係を持って付き合いが続いている人脈とは、、、、今となってはズバリ言います。

それは、

『一緒に共通目標を持って一緒に取組んでいた仲間たち』

です。

飲んで騒いで、ドンちゃん騒ぎしている人脈は大した人脈じゃないです。

その時代の流行をおったCDのごとくとっかえひっかえのごとくです。

勿論、今となって振り返ってみればの話なのですが、なんだかんだ言って、その人脈だったり一緒に過ごした時間から得たものは大きいのですが、僕が言いたいのは、いずれそれに気づき、軌道修正し、本質的な一緒に何かをやる、もしくはやれる仲間を貴重な時間を過ごすことが大事である、ということです。

これまた、気づかない人はいつまで経っても気づかず、ある意味、達観しているのかも知れませんが、まあ、ビミョウですよね。

今日もこんな感じで。

 

 

00:35

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