2007年09月05日
エッセイ 「その先にあるもの。。。(その3)」
久々のエッセーです。
そして、久々にこの
『その先にあるもの。。。』
シリーズを書くにあたり、過去のバックナンバーを読み返してしまいました。
実際、書いてる方は、時が経つと、それがこっぱずかしかったりして読み返すのを避けがちなのですが、今回は書くにあたり読み返しました。
中々、いい事書いているなと思う反面、文章の転結があまかったり、細かすぎて親近感がないと反省。
で、今日は、この『先にあるもの』をずっと考えていたこともあり、過去のエッセーをレビューしたこともあり、改めてもっとわかりやすく。
今、新しいシステムの商品開発にあたり、ここ最近、ずっとマーケティングのことを考えていました。
ターゲットの顧客で友人でもあるところにヒアリングをしたり、それを元に更に角度を変えて考え直してみたりと。
で、結論から言うと、購買にしろ、恋愛にしろ就職にしろ、あらゆる全てのものは、その先にあるものをどれだけ見せれるか?ということが大事だと思います。
それは逆に提供サイドだけでなく購入サイドも同じことです。
もっともなじみがあるのは、男女関係なのでそれを例に挙げれば、例えば、恋焦がれている人がいるとします。
こんなレストランに彼女を誘おうと思うとします。
ちょっとマニアックで隠れ家的。だけど、サービスも料理も雰囲気も良いお店を知っています。
さて、このお店に誘うのは手段です。
一方、彼女をそのお店に誘ってその先にあるもの、それは人それぞれ、千差万別になります。
例えば、初めてのデートだし、
(僕はこんなお店を知ってるんだぜ!)
という先にあるものもあるかもしれません。
(いやいや、何言ってんだよ。やっぱり、金も時間も使うし、先にあるものは山城新伍風に言えば、『ちょめちょめ』だよ!)
という人も居るかもしれません。
(なに言っているんだよ。そんなちょめちょめ、にゃんにゃんはどうでもいいよ。良いお店で楽しい時間が共有できればそれでいいじゃないか。)
という人も居るかもしれません。
それは、人それぞれでしょう。
自分の虚栄心を満たしたい人は、お店でも悠然と自分の存在感を出すでしょうし、ちょめが目的な人はお店の中でちょめるためのトークと雰囲気作りをするでしょうし、ただ、その時間を楽しもうとする人は、そのようなビヘイビアーになるでしょう。
さらに身近な例で言えば、転職もそうです。
転職することで何を達成したいか。。。
転職は特にみなが真剣に考える決断の一つだと思います。
ちょめるとか、ちょめらないとかそんな次元ではなく、相当、真剣に考えるターニングポイントだと思います。
転職をすることによって、何を達成したいのか?
人によっては、自分のアウトプットをもっと高く評価してより高い給料を求める人もいると思います。
(人材紹介会社はご多分に漏れず、それを広告で前面に出していますね。)
また、人によっては、働きやすい、よりよい職場環境を求める人も居ます。
さらに、自分が任せられる、担当できる仕事の内容に重きを置く人も居ます。
自分のキャリア形成のための通過点としての人も居ます。
格闘技を始める場合も一緒です。
オヤジ狩りにあっても返り討ちにしたい。若い奴にいちゃもんつけられても、堂々としていたい。何かあっても彼女を守ってあげられるようになりたい。
つまり、強くなって、自信をつけたい。
いやいや、大きな大会に出て勝ち抜いて優勝してみんなと達成感を得たい。
はたまた、技術を覚えて汗を流して健康体でいたい。
仕事がストレスフルだ。もしくは研究をやっているけど、煮詰まるから体を動かして仕事や研究の効率を上げたい。
それもそれで、本当に様々です。
つまり、必ず、無意識のうちにその先にあるものをイメージして人間は意思決定していると思います。
そして、ややこしいのはこれらがシンプルでなく、複数混在することにあると思います。
さらに、そうならなかった場合のリスク認識です。
自分で書いていて、今思ったのですが、やはり、その先にあるもの、つまり将来予測はシンプルである事が一番、よいのではないのだろうか。。。ということです。
更に、恋愛にしても、転職にしても、格闘技といった習い事にしても、やはり、そこの相手が必ず存在し、それを無視しては決して良い結果は得られない、ということです。
恋愛であれば、相対する相手がいるし、転職でも配属先の仲間やボスがいる。
習い事にしても、一緒に練習する仲間がいるし教えてくれる先生がいる。
そういった、相対する相手のことを慮ることができなければ、ちょめも楽しい食事もよい給料もよい仕事もよい練習も、一緒に優勝を喜んでくれる仲間や先生もいないわけです。
よって、自分が何かをすることによって、その先にある得たいであろうもののイメージと、そして、そこにいるであろう人たちのことも考え行動する必要があると思う次第です。
まだまだ、わかりにくかったかな。。。
P.S
余談ではありますが、その『後ろにあるもの』も人生にはあると思います。
既婚者であれば、不倫を避け、後ろにあるものを清算してから前に進むべきでしょうし、致命的な借金を抱えていれば、仕事の前に、まずは後ろにある借金清算に力を注ぐべきですし、怪我や疾病があれば、それを完治した上で練習や試合に出るべきだと思います。
その先にあるものを見据える一方、その後ろにあるものが、もし、あるのであれば、まずはそれを先にキチンとクリアしないと本当の意味で前には進めませんし、関係する大事な人を不幸にさせると思います。
以上、久々のエッセーでした。
2007年07月10日
エッセイ 「全てはIR(インベスター・リレーションズ)」
IR。
つまり、Inverstor Relations(インベスター・リレーションズ)とは主に上場企業が投資家や株主に向けて、財務情報や事業計画等の投資判断となる様々な情報を開示し、投資家との関係を良くしていく取り組みを言います。
よって、虚偽の情報開示は許されませんし、情報開示する側(企業側)にも誰でも株を勝って欲しいわけではなく、長期でできるだけ長く保有してもらえる安定株主が欲しかったりと、そのなって欲しい株主を想定して活動を行っています。
わかりやすく男女に置き換えれば、鬼畜なら鬼畜のポリシーと活動を女性に開示しなさい、ということです。
(表現が極端で申し訳ありません。)
要するに企業も男女も自分が好む人に来て欲しいわけで、その為に実寸大の情報開示をすべし、それがフェアなことであり、その上でディールして失敗したのであれば、投資サイドの判断が誤っていたということになります。
(当然、虚偽の開示がないことが前提です。)
で、前置きが長くなりましたが、この『IR』というのは男女に限らず、様々なシーンで共通しているものだと思います。
例えば、取引先もそうです。
消費者相手のサービス業を始め、お客さんになってもらいたくない人たちが必ず居ます。
株式でも株主になってもらいたくない人が必ずいると思います。
男女でも好かれたくない人がいると思います(笑)。
要因は二つあって、一つは自分のIR(適切かつ公正な情報開示)が足りないことです。
これでは、相手側からすると、判断する材料がないわけですから、株であっても男女であっても仕事の取引であっても、中々成立はしませんし、するとすればかなりギャンブルに近いといえるでしょう。
ですが、これは、自らの公正な情報開示や努力によって変えることができるものでもあります。
逆に第二は相対する’相手’の偏差値が低いことです。
偏差値という表現を使いましたが、株式で言えば、投資家のファイナンスの知識(ファイナンス偏差値)が足りてないこと。
男女で言えば、相手の恋愛偏差値が低いこと。
企業で言えば、クライアントや顧客がその業界の専門的偏差値が低いこと。
が要因になると思います。
当たり前の話なのですが、金融の知識も持たず、企業の価値もわからずに投資すれば失敗します。
(ビギナーズラックはさておき、長期で見ればかならず失敗します)
相手の気持ちや立場を慮らずに自分の思いだけで突っ走っては振られてしまいます。
広告やシステムの取引を行った際、発注サイドが全くの素人の場合、カモにされるか業者にそっぽを向かれます。
「株価下がったじゃね~か!ぶっ殺すぞ!」
(実際にIRへの電話にはこの手の電話が掛かってくるらしいです。)
「何で俺の気持ちがわからないんだ!いわしてもらうが、君はうんぬんかんぬん。。。」
「なんでこれに費用が掛かるんですか!御社の対応はうんぬんかんぬん。。。」
まあ、よくある話なんですが、根底には、
(俺は投資家だ!)
(俺は君にこんなにしているだ!)
(こっちは、お客さんだぞ!)
という感情が根底にあるのだと思いますが、株式も恋愛も商売もそもそもフェアなものです。
お金という価値を提供して株という価値を手に入れる。
自分(男性もしくは女性)と一緒にいれ幸せな時間を共に過ごすという価値を提供し相手から同じく同等かそれ以上の価値を手に入れる。
お金という価値を腹って同等かそれ以上のサービスや商品という価値を手に入れる。
全ては価値の交換なので、株主だから偉いとかお客さんだから偉いというのは、根本的に間違っていると思います。
要するに何かことが上手く運ばない場合、投資する側、好きになる側、発注する側の自身たちの偏差値がどうなのか、という問題があるということです。
(おたくの株を買って本当に良かったよ。これからも売らずに応援しているから頑張ってね!)
(あなたと出会えて、付き合えて本当によかったです。)
(おたくの商品(サービス)、本当に素晴らしいね。買ってよかったよ。)
世の中、もっとスムースになればなぁ~と思う次第ですが、愚痴ってばかりもいられないので、IRを公正に行い、後は自分自身が相手を選ぶ。
それを継続するのが近道であると今は信じている次第です。
2007年06月28日
エッセイ 「周りが思う服のサイズ、自分にあったサイズ」
先日、アクシス柔術アカデミー⇒食事後、そのまま15年来の友人であるKY氏と六本木に行った際。
道端に風呂敷を広げてキャンドルを売っているおじさんが居た。
夜も遅かったので、棚に並べられた様々なグラスのキャンドルに火が灯されて綺麗だったので、好奇心もあってついつい二人で立ち止まって見ていた。
おじさんもセールストークもあり、値段も安かったこともあり、ちょっと気に入ったキャンドルを買った。
四角とひし形の沢山の小さなガラスで覆われてデザインされたそのキャンドルは更に中に黄色の器があり二重構造になっている。
金額は1000円。更にKY氏が交渉してくれて、中の蝋を5個と線香もおまけでつけてくれた。
一応、営業出身の僕は、様々な確度から質問もしてその品質が良くないこともわかっていたが、そんなことはどうでもよく、家に帰って使う楽しみとおまけで十分、フェアバリューだと思った。
今日、それを買ったことを思い出して、カバンの中から取り出して、始めて使ってみた。
見れば見る程、稚拙に出来ており、やはり品質は良くない。
でも、その稚拙さが、またなんとも微笑ましく、手作り感があって良い感じを醸し出している。
恐らく、発展途上国で手作りによって生産されたものだろう。
とても気に入っている。
いい買物だったし、我が家で長く愛用したいと思う。
僕の今のポジションはIT関連の「一応」、社長であり、経営者である。
でも、それは僕が誰にお願いされたわけでもなく、自分が好き好んで起業しやった結果、今のポジションがあるだけである。
よって、特別、僕は偉いわけでもなく、自分がやりたいこととその責任を果たすべく、今のポジションがあるだけで、社長だから偉いとか社員だから偉くない、ということではないと思っている。
社員には社員。広く言えばサラリーマンも自分で選んでその職業についているわけだから社長だろうがサラリーマンだろうが、それぞれの責務は必ずあるし、自身が選んだその職業に対して、生き生きとその職務を全うし、社会に価値貢献しているのであれば、報酬の多寡云々ではなくフェアに評価されるべきだと思う。
この業界に居ると、とくに他業界に居る人からは、日本のマスコミのレベルの低さも手伝ってか、そのポジションを過大評価というか薄っぺらい表面のみを見られるシーンがしばしばある。
社長をやっていると、零細企業にも関わらず、その社長というだけで、様々な社長と知り合う機会がある。
そして、こんなシーンがたまにある。
「なべちゃん、これ、パテックフィリップ。限定品でもう新品は売っていなくて1500万円で買ったよ。
なべちゃんもこういう時計しなよ~~~。」
一応、時計の一定の知識はあるものの、僕には時計は良くわからない。
僕の父はずっと日本製の時計を使っていたし、そのデザインと性能の良さにとても満足していた。
僕が新人でお金がなかったとき。
確か、蒲田か大森辺りのバッタ屋で、スウォッチの5000円くらいの時計をしていた。
その後、起業して貧しい時代を経て、ようやく収益が出た際、自分へのご褒美にこれまたサクラヤでオメガのスピードマスターを買った。
(確か10万円ちょっとだっと思う。)
その後、結婚して今では元妻になってしまったが、彼女からプレゼントされたエルメスのクリッパー、クロノグラフを今でも愛用している。
好きな色であるブルーの文字盤でとても気にっているし、僕にはこれで十分だし、今後、会社が成長して資産が膨らむようになったとしても、これ以上のものを持つことはないだろう。
(流石にクライアント的にもスウォッチをしていたら不安がるだろう。。。)
周りから見られる服のサイズ、自分にあったサイズには必ずギャップが存在する。
周りから見られた服のサイズにあわせるほど馬鹿馬鹿しいことはないし、その服のサイズに無理くり自分を合わせようとするのもナンセンスだと思う。
当たり前だが、自分にあったサイズの服が一番、心地よい。
先日買ったキャンドルを眺めながら、そんなことを再認識でき、改めていい買物でした。
P.S
義理の兄がロンドンに留学していた頃、地下鉄に乗って座っていてふと目の前を見たら、ビルゲイツが目の前に立っていたそうです。周りにはSPらしき人が数人いたらしいのですが、ふと、ゲイツの時計を見たらTIMEXだったそうです。
なんともイキな話です。
P.Sその2
決して高いものが悪いということではなく、その価値を十分に理解した上での買物なのか、周りに踊らされた買物なのかで、大きな差があると思います。
2007年05月08日
エッセイ 「価値判断」
価値判断とは、僕の今の人生のテーマでもあります。
身近な話をすれば、株式。
その企業の株価と実際の価値はどうなのか。
本来、1000円の価値の株式が500円で売られていたら買った瞬間に利益が出来ます。
でも、多くの人がその価値ではなく株価という価格のみを見てしまいます。
面白いのが、TV東京の『なんでも鑑定団』です。
大概、騙されているのですが、普通に考えれば古物やアンティークの価値がわからないのに買ってしまうこと自体に問題があるわけで、騙されて当たり前です。
自分が価値がわからないものに大して大枚を叩くことが問題なのです。
価値がわからないものには手を出さなければいいわけです。
(もしくはしっかりと勉強する。)
僕の好きな格闘技の世界もそうです。
やはり、格闘技をやっている連中からみると、
(この試合は胡散臭い)
とかあるわけです。
それは、格闘技の技のきめ方とか細かい部分を知っている人しかわからないのですね。
よく言われるのが、
「夢を見る」
という極めて都合の良いキャッチコピーがありますが、これは現実を直視していない言い訳だと思います。
コインには必ず裏があります。
夢を見るのも結構ですが、コインの裏を無視し続けるとやがて、ボディーブローのように利いてきます。
世の中のあらゆる事象に対して、価格やコインの表だけでなく、
(裏はどうなっているんだろう。)
と探求することが肝要だと思います。
(後は大欲をかかない)
そして、コインの裏がわからない、もしくは興味がないのであれば決して深入りしないことです。
決して大切な大枚を叩かないことです。
株式、不動産、アンティーク、格闘技。。。
全て同じことが言えると思います。
2007年05月05日
エッセイ 「情報のインプット」
人は様々な情報を得て、日々、成長していくと思います。
できる人、そうでない人は自ら取りに行く人、行かない人。
つまりそもそもその情報量が違うと思うのですが、それらを割り引いて、Aさん、Bさんが同じ情報を得たとしても、そのインプットの偏差値は全く違います。
例えば、クライアントからクレームがあったとします。 クライアントからのクレームに対してクライアントが言っていることのみに集中してしまう人もいれば、クライアントがどこに対して語気を強めているか、目の配る位置はどこか、話の振り先はどこなのか、要するに五感を総動員して、言葉にはない情報までを汲み取ろうとする人と、ただ、言葉尻だけを受けようとする人とではそのインプットに対して大きな差が出ます。
上記はあくまでクレームの際のケースですが、男女でも同じことだと思います。 様々な会話の中から、触れられたくないであろう表情をした瞬間だったり、生き生きとした瞬間だったりと、それを敏感に感じ取れる人、そうでない人とでは、口説ける確率も格段に変わってくると思います。
つまり、情報とは、言葉や文章だけではないのです。 語気、表情といった全てが情報なわけでこれに敏感でない人は、センスがないといえます。 このセンスというのはともて大事で、今まで、多くの部下を見てきましたが、デキル奴の共通点として、 ・センスがいい というのがあります。
で、残念ながらこのセンスというのは少なくとも僕の経験からすると、教育できる、つまり教えられるものではないと思っています。
センスの悪い奴は何をどう伝えても、センスが悪い。 センスのいい奴は、意識して何かを伝えなくても勝手に何かを感じ取って自分なりに咀嚼している。 そして、その自分のセンスを常に正しいかチェックして、検証して更に研ぎ澄ましている、そんな風に思います。
僕がいうのもとてもおこがましいですが、誰かと会話をしている際、ピンとくるときがあります。
(こいつは、いいセンス持っているな。)
と思う瞬間です。 昔からよく言いますよね。
『一を聞いて十を知る』
昔の人は中々、含蓄に富んでいることをよくいうものだと、その言葉の深さにいつも考えさせられるのですが、この故事も実は、話してからすると、
「一を話しているわけではなく十を話している」
と思います。
一はあくまで言葉尻だけの話であって、実は言葉意外にも様々な情報を発していると思うのです。
会話の流れだったり、今までの関係だったり、語調、表情といった情報を意識せずとも伝えていると思うのです。
その集約されたものが「わかりやすい」であろう言葉に集約されているだけでその言葉の背景というか行間が必ずあるのです。 その行間を汲み取れる能力が、しつこいようですが、 『センス』 だと思います。
仕事関係であろうが、男女であろうが、最後は人と人です。 このセンス偏差値というものは、残念ながら駿台や代ゼミのように偏差値でクラス分けされているわけではないので、常に対峙する人とはそのスプレッド、ギャップが存在します。 そして、常にセンスの高い人から低い人へ、決してセンスではコミュニケートできない部分を言葉や他の様々な手段で伝えようとします。
つまりは咀嚼して伝えようとする行為なのですが、伝わることもあれば伝わらないこともあります。 そして、 (もう、この人には伝わらない) と諦めた瞬間にその人との付き合いも終わると思います。(伝わった上での価値観や理念の違いを除いて。)
なぜなら、言うほうもエネルギーがいるので、
(もう言いたくない)
と思うことが、仕事であれば男女であれ、その人との関係が終焉するタイミングだと思います。
一方で、常に高いレベルでのセンスをキープしている人とのコミュニケーション程、心地よいものはないと思います。
こんなセンスという言葉を使うと、生まれつきの天賦の才という風に思われるかもしれませんが、センスを高めるのは相手を知ろう、知りたいという欲求からくる好奇心が本質であると思っています。


