2007年02月16日

エッセイ 「マネージャーの眼力」

良いマネージャーは、部下の「能力」と「適正」を正確に見極める眼力を持っていると思います。

これは言うは易しですが、実際、高い精度で見極められているジャーマネは少ないと思います。

僕もまだまだ、その一人です。

新しい商品を開発して満を持してリリースしたは良いが、中々売れないケースがあるとします。

その場合、その商品力があることを前提にすると、商品を武器に例えるならそれを扱う営業マンが扱いきれていないことが大きな原因であると思います。

そして、その扱いきれていない理由には、主に二つあって、それは適正のミスマッチと能力レベルのギャップになると思います。


まず、第一に適正のミスマッチですが、武器(商品)にも色々あって、例えば、新たに開発した商品が剣だとすると、剣の扱いが得意な人も居れば槍や戟、矛、弓が得意な人も居ます。

弓を引くのが得意な人に大きな剣を扱わせても中々、様にならない、扱いきれないということになってしまいます。

そして、このミスマッチを起こす原因として、ジャーマネサイドからの

(自分にとってはこれは扱いが簡単である。

そして、部下もこれくらいは扱えるだろう。)


という「思い込み」に失敗の原因が潜んでいるように思います。


第二に能力レベルのギャップですが、これは種類に違いではなく、例えば剣(商品やサービス)の中でもその扱いの難易度がレベルが違います。

例えば、レベル1から5まであるとしてレベル3の剣だとするとみなが扱えるのはまだレベル2かもしれません。

その場合は訓練を行いレベル3に持っていく他ありませんし、部下のレベルが実は1だったとするとレベル3までに持っていくには、レベル2よりも当然、時間が掛かります。

その場合、ベンチャー企業の場合は時間が限られているのでその想定外の時間が焦りを呼び更に悪い方向に行ってしまいがちです。

この場合も適正ミスマッチと同様に、


(このレベルなら扱えるだろう)


という、思い込みに原因があるように思います。


よって、詰まるところ、扱う商品の種類とそのレベルミスマッチとギャップが失敗要因になり、そのギャップを作ってしまうのは主にマネージャーの「思い込み」が大きいわけです。


そして、その「思い込み」を誘発するものとして、


(彼は営業経験10年だから。

同業界出身だから。

入社○年目だから。)


と言ったスペックといった「表面的な」情報が一つにあると思います。

なので、こういった情報よりもやはり、マネージャー自身の自分の眼力を信じた方が実は精度が高いのではないかと思います。

また、営業活動を開始以前に適正とレベルを見誤ったその時点でほぼ失敗は確定していると思います。


ですので、マネージャーは部下の適正を正確に見極め、それに沿った商品やサービスを開発することがまず求められるわけです。

先にこの適正とレベルを正確に見極められない大きな要因に「思い込み」があると書きましたが、それは同時に「期待」とセットになっていると思います。


(これも扱えるだろう、扱えるようになって欲しい)


という期待値もミスマッチとギャップを起こす要因ではないかと思います。

そうなると、

「じゃ、部下には他の適正は期待しちゃいけないのか」

とシャウトされそうですが、そうではなく、本人の意欲とのマッチングが大事だと思うのです。

一方的に期待をし、武器を与えて結果を求めるのではなく、次にどんな武器を扱いたいか、それとも今の武器のレベルを上げて行きたいのかという本人の「意欲」と、与える「武器」もしくは「レベル」を適切に判断する必要があると思うのです。


僕もまだまだ、出来ていませんし失敗だらけですが、もっと巧みに武器とレベルの付与ができるようになれば、部下ももっと仕事が楽しくなると思います。

というわけで、ジャーマネ職をもっと精進いたします。

00:48

2007年01月30日

エッセイ 「カレイドスコープ(万華鏡)」

先日見た、バフェットとゲイツのビデオの中で、バフェットが言っていた

「人の能力を100%発揮するのを邪魔しているのは、習慣と性格だ。尊敬する人をあげてみて、その人の習慣を真似することで合理的になるはずだ。最初は弱い鎖でも20年継続すれば強い鎖となる。」

との言葉を色々と反芻してみました。


特に習慣と性格が邪魔をしているという言葉が印象深くてあらゆる判断もこの二つがカレイドスコープ(万華鏡)のように物事の本質や価値判断をゆがめているのではないだろうか。

身近では、友人や異性を見る際、その人の身なりだったり職業だったり卒業した大学だったり。

お酒や料理にしても、産地や作り手、空間だったり。

車で言えば、限定車だったりブランドだったり。


以前、バフェットは何かの会食で、シャトー・ラトゥールという特級ワインを出されたとき、

「ワインが上手いんじゃなくて、口が上手いんじゃないでしょうか。」

と言ったそうです。

コーヒーでキリマンジャロやコナコーヒーは高いですが、それは絶対的な収穫量が少ないだけで、需給バランスによって相対的に価格が高くなっているだけで、もしそれらが供給過剰になれば価格は下がります。

実際に鰯(いわし)も漁獲高が下がっているようで、将来、高級魚になるかもしれないといわれています。

そう考えると、世の中、高いと言われているものは、「口が上手い」んじゃないかなと思うものが氾濫しているように思います。

株価もその一つですよね。

口が上手く株価が上がったとしてもそれに見合う価値が無ければ、株価はいずれ下落し上々廃止になったケースも最近ありましたし。

よって、需要とは本当の需要にプラスして「口の上手さ」によって掘り起こされているケースがかなり多いと思います。


一方で、トヨタ自動車のように、車に本来、求められる価値を真剣に考えて、物作りに生かしている企業は長期で見れば圧倒的な成長を果たしていますし、いずれその価値に見合ったところに落ち着くように思います。

おいしさとか感動とか性格や感情で判断するものは、その価値を数字に落とし込むことは難しいですが、最後は自分が受ける価値に対して支払う価格は同等かそれ以下なのかどうかを一歩下がって、冷静に見る必要があるのではないかと思います。

同時に個人が感じる価値である以上、それはそれで全て正しいということにもなります。


僕自身、生活の様々なシーンで今までの習慣、性格、感情といったカレイドスコープに惑わされているところが沢山あると思うので、ここはバフェットを見習って、「上手い口」に惑わされず自分が受け取る価値というものを、ひとつひとつ吟味する良い習慣をつけたいと思います。

00:35

2007年01月24日

エッセイ 「社会人のクラス」

僕は20代の前半から中頃まで、よくお食事会ならぬ合コンを良く企画したり、誘われていたりしました。

それは、様々な女性と知り合ったりと刺激的なものでした。

ですが、一番、刺激的だったのは、「合コン」をきっかけにした同業、異業種で活躍している男性と出会いでした。

数々の合コンのお陰で多くの尊敬する男性友人と知り合うことが出来ましたし、合コンをきっかけに仲が深まり、一緒に仕事をしたり、様々な相談をしあったりといった友人がいます。

ですが、その後、僕自身が結婚と離婚を経験し、また周りも結婚したり子供が出来たりといった外部環境の変化もあり、自然と自らお食事会を企画することがぴたりとなくなりました。

理由は、同姓、異性を問わず、合コンをきっかけとした出会いにある種の限界を感じたからです。

投資家的に言えば、ある種の非合理性に気づいたのかもしれません。

ビジネスマンではなく一個人の側面からすれば、自分が40歳になっても同じことをやっているのか、やりたいのかと思ったときにそうではありませんでした。

どちらかというと、子供を含めた自分の家族と大切な友人家族とバーベキューやキャンプに行って、有意義な時間を楽しみたい。

自分が育った原点に近づきたい、鮭の川登ではありませんが、そんな願望が強くなってきたのだと思います。


少々、広めの家に引っ越してホームパーティをやっているのも、社員との忘年会を自宅でやっているのも、時間を忘れて大切な仲間と時間を忘れて手作りの良い時間を過ごしたい、そんな願望がありました。


以前から散々書いていることですが、仕事とプライベートの付き合いを分けるのはナンセンスですし、友人との仕事を割けるのもナンセンスだと思います。

僕からすれば、社員は家族同然ですし、友人もまたしかりです。

大切な人を、社員とか友人とかというカテゴリーで切り分けられるものではありませんし、切り分けてしまうほど、人生を無駄にすることはないと思います。


今、僕は友人である竹内さんの仕事を手掛けていますが、友人だからといって、決してなあなあにするつもりはありませんし、ミーティングの際も、敬語を使って仕事の話をします。

何よりも請けた側として、彼の笑顔をもっと出せるように良い仕事をしたいと思っています。

お互い、多忙ともあって最近は全然行っていませんが、彼と飲みに行くときはお互い酔っ払っていろんなことを対等に熱く語り合います。


別の立場では、近所のワインバーの店員だったJ君の事業立上げをお手伝いしています。

ようするに、店員とお客さんの仲だったわけです。

彼は、自分の確固たる価値観を持って、本当にやりたいことをやろうとしています。

なので、僕に色々と喰らいついてくるし、相談にも乗りがいがあるし支援のしがいがあります。

J君には是非、自分が頭で描いている事業を楽しみながら、価値ある事業を形にしていって欲しいと思います。
(今は、無報酬ですが、彼が楽しんでやっている以上、必ず僕にもリターンがあると思っています(笑)。)

なので、人間、誰しも相手との出会った関係だったり、無意識のうちにある種の既成概念を持って自ら、メンタルブロックを作ってしまっていると思います。

でも、突き詰めれば、人と人な分けですからそんな関係という形に縛られるのはナンセンスだと思います。

そうそう。

話しが大分それましたが、合コンをぴたりと辞めた今、その経緯を知らない方からは、いまだに怪訝な目で見られます。


別にこの場を借りて言い訳をしたいわけじゃありませんが、こういうことです。


「中学生のクラスに高校生になって行こうとは思わない。」

学生時代は年齢である程度、絞り込まれて、年齢差を意識せずにいれたけど、社会人クラスは中学生のクラスに中学生もいれば高校生もいれば、はたまた40歳もいるってことです。
(別に40歳の方が合コンにいくのが悪いとかそういうのではありません。)

社会に出ると年齢によって金太郎飴のようにわかりやすく切られていた学生時代とは違って、年齢というタガが外れますし、そもそも科目やクラスといったわかりやすいタガも外れます。

もっと言うと、それのクラスの数、種類は膨大なものになるでしょう。

シラバスに載っていないシラバスを自ら見つけて、そのクラスを受け、自ら卒業を決め単位をつける。

そして、次のレベルの高いクラスを自ら見つける、また履修と甲乙の単位を決める。

卒業したと思っていたら、実は単位が取れいなく追試を自ら受ける。

そんなスパイラルを繰り返すのとその合理性をひたすら追求するのが人生ではないかと思う今日この頃です。

02:21

2007年01月07日

エッセイ 「勉強したつもり、仕事したつもり」

僕は中学校まで、そこそこ成績がよく、いつも上位でした。

当時の駿台進学研究会という塾にも通って、成績上位者で名前もしばしば載っていました。

その後、燃え尽きシンドロームに陥り、高校・大学と全く勉強をしなくなって落ちこぼれの一途を辿ることになるのですが(笑)。。。

そんな話はさておき、駿台に行っていた時を振り返ると、夏期講習だかなんだかで、下位のクラスの人たちとクラスが一緒になることがありました。

そこで、成績優秀な人とそうでない人を振り返ってみると、どうも成績が良い人ほど、ノートを取らない。もしくはとっても、殴り書き程度だったり、極めて少なかったりでした。

逆に成績のあまりよくない人ほど、至極綺麗に完璧に黒板を複写していました。

仕事ではどうでしょう。

仕事ができる人ほど、資料を作らなかったり、メールの数も少なかったり、商談でも口数が少なかったりします。

一方、仕事が出来ない人ほど、やたら提案資料を作ったり、見積を何度も作ったりといったドキュメントに多くの時間を掛けているように思います。


ノートを綺麗に取る人は、ノートを綺麗に取ることが目的になってしまっていると思います。

資料作り精を出している人は、資料作りが目的になってしまっていると思います。

ノートとりも資料作りも「手段」でしかないと思います。

どちらも何のためにとるのか、作るのかを一歩下がって考えてみる必要があると思います。

そうそう。

システムが無いから売れない、商品が無いから売れないというのも、ダメなビジネスマンです。

システムにしろ商品にしろ、それは手段であって、クライアントが欲しているその先にある物をキチンと捉えてさえ居れば、それらがあるなしは大した問題ではないと思う次第です。

これらは、一つの切り口ではありますが、世の中のあらゆることにも通じることであり、手段を目的と混同しないことはとても大事なことでしょう。

23:08

本当の相談と見せかけの相談

人が誰かに相談するとき、その本意は大きく二つに分けられます。

それは本当の相談と見せかけの相談です。

前者の本意にあるのは本当に何かヒントや光が欲しい結果の行動としての相談です。

よって、相談相手は自分より多くの経験を積んでいるであろう人、自分に厳しいことを言ってくれるであろう人、自分とは違った視点を持っているであろう人、等々といった経験、客観性、厳しさ、愛情をもった人に無意識に相談します。

これは、実は相談しにくい人でもあります。

一方、後者の場合は実は自分の答えや意思を持っており、その意思を固めるもしくは自分自身が正しいと自分を安心させるための確認作業としての相談です。

よって、「相談」とうい切り口を使ってはいるものの実は、

(自分の考えに賛同して自分を勇気付けてください。)

と言っているに等しいと思います。(勿論、その考えがポジティブなものの時もあればネガティブなときもあります。)

実はこの手の相談の場合、確固たる自信がない裏返しでもあり、心のどこかで、

(違うのでは。。。)

と思っていることがしばしばです。

しかし、自分自身への弱さが出てしまい、それを固める行動の結果として、言葉は悪いですが、見せかけの相談という手段を無意識に使いがちです。


よって、相談相手は、常に自分に賛同してくれるであろう人、決して反論をしないであろう後輩といった具合に、自分を甘やかしてくれる人についつい相談しがちです。

実際、相談される側からすると、相談者に賛同する方が楽なのです。

なぜなら、賛同すれば責任が回避できると思われるからです。
(本当は賛同した、という責任があるのですが。。。)

ですので、本当に自分のためを思うのであれば、自分が何かを誰かに相談する際、今一度、一歩下がって、誰に相談しようとしているのかを客観的に見て自分の行動や心理を鑑みる必要があります。


後者の見せかけであれば、相談する前に自分をもっと疑う必要があるでしょう。


逆に相談された場合は相手との関係を冷静に見て、相手にとって自分が相談しにくい相手であるか、言っていることが客観性に富んでいるかどうか、やけに言い訳がましくないか、ただ背中を押して欲しいのか等、どっちの相談なのか、その本質を瞬時に見抜く必要があります。


本当の相談であるならば、真剣になって乗ればいいですし、甘ったれてると思えばズバリ本質を突くべきですし、当人なりに考え抜いた結論であり既にどうするか決めていると思えば、それを応援すべきでしょう。


その際、厳しいことを言って、それで相手が去るようならば、どうせ短い人生ですから自分の貴重な時間を今後無駄にせずに済むというものです。


言いにくいことを言ってくれる人ほど、貴重な人は居ません。


言いにくいことを言うには言う方にもエネルギーが要りますし責任もあります。


言いにくいことを言ってくれる友人や先輩、恩師、家族といった仲間がどれだけ周りにいるかがその人の価値にもなるでしょう。

そうなるためには、やはり自分自分がそっちの側の人間になることでしょう。

00:16

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