2006年08月25日
見えないところで動く
例えば、サッカー中継では、カメラは常にボールを追っかけます。
当然ながらボールに近い人、ボールによく触っているプレイヤーが目立ちますし、誰もがボールに触れたいとも思っていると思います。
一方でテレビには映らない、映りにくいプレイヤーも居ます。
そのようなプレイヤーは常に一手、二手先を読み、パスコースを消したり、ラインをコントロールしたり、体を寄せたりして失点の危険を回避したり、味方のチャンスにつなげる動きをしています。
言うなれば、デサイーやマケレレみたいな選手でしょうか。
会社経営もサッカーの監督も同じで、見えるところで頑張る人ばかりを評価すると、見えないところでは頑張ろうとしませんし、見えないところで良い働きをしている人は去ってしまいます。
サッカーの勝ち負けもどんなに点をとっても守備が崩壊すると負けてしまいますし、会社も内部がしっかりしていないと攻めに転じることは出来ません。
会社が悪くなるのは、およそ内部から崩壊するケースが多いと思います。
攻める前に足元から崩れていく、そんな感じでしょうか。
良い監督や良い経営者というものは、「見えないところでの働き」をキチンと見て評価出来る人だと思います。
同時に
「見えてない」
と思っているものでも実は良く見ているものですし、ボール周辺「のみ」で
「良く見せよう」
としている姿勢も良くわかるものです。
大事なのは、そのポジションの特性もあるものの、見えようが見えまいが、
「会社やチームを中心に思えばこそ」
のマインドだったり姿勢に他ならないと思います。
2006年08月24日
人生とはエベレスト登山の如し
最近、わけあって、ちょっとおセンチな内容が多かったのですが、ようやくいつものテンションに復活しました。
また一段とタフになったような気がします。
さて、本題です。
30歳も近くなると、今までは先輩から色々と教えを請うことが多かったのが、逆に相談される機会が少しずつ増えてきました。
また、今年に入り、立て続けに様々なことがあり人生を登山に例えて考えたり、話したりすることが多くなってきました。
その例えは主に三つあるのですが、今日はその一つを僭越ながらご紹介します。
およそ、人生はエベレスト登山に似ている。
苦しい登山をするのは、最終的には頂上に上ったときの感動と達成感が欲しいからに他ならない。
そのゴールのイメージが鮮明にあるからに他ならないし、登れば登るほど、景色が美しくなっていって更にイメージが具体的になってくるものだ。
だから、たとえ吹雪に合おうが酸欠になろうが、登り続けることが出来る。
そして、その登山も一人では難しいし、仲間と共に登り、頂上にたどり着いたときの感動と達成感を分かち合いたいと思うものだ。
同時にその具体的なイメージと正しい判断力を持っている人がリーダーとなり、チームを正しい方向に導く必要がある。
ついていく人もどのリーダーにつくかによって、志半ばにして途中下山を与儀なくされる場合もあれば、全滅してしまうこともある。
一旦、下山して再チャレンジなんてこともある。
一方で最短距離でたどり着けるチームもあれば、多くの時間が掛かるチームもある。
難しいのはそのリーダーでさえも頂上に登ったことがない人が殆どで、まさに
「登りながら考え、経験を積む」
人が殆どであろう。
仲間がその苦しさに頂上のイメージを忘れて見失ってしまうこともあるし、他のチームがよく見えて決別することもある。
逆に他のメンバーの足を引っ張る人がいれば、チーム全体を考えてそのメンバーと決別することもある。
チームを引っ張るリーダーたるものは、常にみなの健康状態や精神状態(内部)に気を配り、休むべきところでは休ませるし、イメージを失っていると思えば、ちょっと先まで登ったときのイメージを伝え、途中まで引っ張る。時には頂上のイメージを伝え続ける。
また、地形や天候(といった外的要因)を予測し、的確な判断のもと、走るときには走り、休むときはベストな場所で休ませ、悪天候を上手くやり過ごす。
登れば登るほど、その経験値から判断力も研ぎ澄まされてくるし、精神面も体力面もタフになってくる。
また、今まで見えなかったものも見えてきて、頂上のイメージがより具体的になってくると共に、それが果てしなく遠いものに感じる。
逆に今まで登ってきた道のりを振り返ると、それはあっという間でありとても短く感じるものでもある。
当時は一キロ先を登ることがしんどく感じたものが、振りかえればどうってこと無かったと思えてしまう。
時には、登山をさっさと諦めて、ふもとでのんびり過ごしている人が瞬間的にうらやましく思えたりもする。
同時に諦めたら一生頂上を見るチャンスを失うと思うと、決して「ふもと」に下りようとは思わない。
およそ、そんな繰り返しなのだろう。
勿論、人によって価値観は様々なので、そのリスクを考慮して2合目までで良しとする人もいるし、10合目を目指す人もいる。
もっというと、そもそも「頂上」という定義も人によっては違うし、頂上というものは一生存在しないのだと思う。
頂上と思っていたものが頂上では常になくなるのだから。
しかし、僕の経験上、確実にいえることは登れば登るほど、
「景色は変わってくる」
ということだ。
本気で頂上に上ろうと思えば、それに必要なのは
・基礎体力(精神・肉体のタフさ)
・基本装備(スキル)
・学習能力(意欲)
それに、
・内的要因、外的要因といった「登山そのもの」を楽しめるハート
に他ならないだろう。
これは、仕事でもプレイベートでも全く同じことだと思う。
人生とは頂上のイメージを自ら持ち人を集めるか、共感するイメージを持っている人についていくかの二つに一つだろう。
実際、登ってみると思わぬ景色があったり、思わぬところで温泉が湧いていたりと結構、楽しいものです。
我が社で言えば、まだまだ二合目といったところでしょうか。
先はまだまだ長いですが、確実に一歩一歩、登っておりますです。
2006年07月20日
「企業における価値創造」と「男女における幸せ創造」
例えば、お金を稼ぐ場合、その手法はざっくりと2つあると思います。
それは、どこかから搾取する手法。
つまり、誰かの損の上に自分の利益が成り立つ方法です。
もっとも近いのはパチンコではないでしょうか。
1人1万円の損失で100人が損をしたら100万円がマイナスです。
でも、5人が10万円ずつ得をしたら、50万円が残り、それは胴元であるパーラーの懐に入ります。
もう一つは価値創造を行い、その対価としてお金をもらう方法です。
ちょっと古い話で言えば、SONYのウォークマンなんかがそうです。
前者の場合、誰かの損失の上に少数の人が利潤を上げ成り立っているケースですが、ウォークマンの場合は誰かの損失の上に利潤を上げているのではなく、価値を創出し、結果として利潤が集まっていると思います。(勿論、パーラーもサービスという付加価値をつけたりと、娯楽というサービス業の価値創造の側面もあると思います。)
僕はビジネスにおいて、どちらが健全で継続性が高いかというと、間違いなく後者だと思っています。
そして、その価値創造の根源にあるものは、
「このサービスや商品を提供することで、社会がどのように変わるか。実際に使う人の生活がどのように良くなるのか。」
という社会や顧客に対する誠実さそのもので、それが根源となった試行錯誤や努力の表れだと思います。
僕は最近、個人的な問題が色々とあり、あらゆることを男女に置き換えて考えることが多くなりました。
男女における価値創造、すなわち「幸せの創造」とはなんなのか?
例えば、いつも綺麗な女性をとっかえひっかえしている男性が居るとします。
男性陣のおよそ殆どが、はたから見ればうらやましく思うと思います。
およそ現代においては、綺麗な女性をとっかえひっかえしたり、二股三股する事は確かにぱっと見、短期的にはうらやましく見えるかもしれませんが、その一方で、誰かを裏切っていると思います。
そして、その男性は取り巻く女性への裏切りだったりといった、不幸の上に自分の幸せが成り立っています。
これは、短期では良く見えても長期で見れば必ず、皆を不幸せにすると思います。
なぜなら、幸福の創造を行っていないからです。
それでは、どうすれば幸せを創出できるのか???
それは企業が社会や顧客に対する姿勢と同じで、女性に対する「誠実さ」に他ならないと思います。
これは、とっかえひっかえとか二股三股がバレる、バレないといった低次元の話ではなく。
例えば、企業に置き換えれば提供するサービスや商品を愛してくれる顧客が居るとする。
そして、顧客に対して迷惑を掛けたり、信用を失ってしまったりと、大きな裏切りを行ってしまったとする。
その際の本質的な原因は顧客をないがしろにしていたこと。
つまり、顧客に対して誠実に向き合っていなかったことだと思うのだ。
誠実さという姿勢さえ忘れなければ、常に顧客に気を配り、耳を傾け、改善を意識し、常に良い便益を提供し続けることが出来ると思う。
たとえ、予測しなかった事態が起きたとして、トコトン誠実に向き合い対処することでリカバリーすることもできると思う。
男女においても同じで、自分を理解してくれて、愛してくれて、自分も愛する相手と常に誠実に向き合い、常に気を配り、耳を傾け、改善を続ける。
不慮の事態が起きたり、起こしてしまったら更に誠実に向き合う。
それこそが、唯一、「幸せ」というものを創造することに他ならないと思う。
これらは、綺麗事かもしれない。
でも、そんな綺麗事を諦めずに常に持ち続け、実践することが唯一、幸せというものを更に高い次元に導いてくれ、創造する唯一の方法ではないだろうか。
2006年07月13日
強い人。弱い人。
僕の経験上、随分、若いときに思って未だに変わらない思考があります。
それは、あくまで一つの切り口に過ぎないのですが、人には二つのタイプがあるということです。
それは、何かというと、「そもそも弱いから守りが鉄壁な人」と「そもそも強いから無防備な人」の2タイプがあるということです。
特に、男女に置き換えるとわかりやすいのですが、女性でも、一見しっかりしていたり凄く強そうだったり見える人が実はか弱かったりします。
掘り下げれば、本質的に弱いからこそ、自分が傷つかないために守りを固めているようにも見えます。
なので、会話や議論をしていても、ともて強く見えるのですが、コインの裏を見れば、それは自分の弱さをカバーするために身につけたスキルではないかと思う時があります。
一方、弱そうに見える人ほど、本質的には打たれ強かったりします。
これは、本質的に強いからこそ、防御をそこまで強くする必然性が無いのだと思います。
良く、泣いたり喚いたりする女性が居ますが、実はそんな女性こそ、めちゃくちゃ強かったりします。
人は見かけによらないと良く言いますが、本当にその通りで、第一印象が強い人と感じる人は、僕は逆に弱いのではないかと推測しますし、逆に弱いな、と感じる人は「実は強いな、この人」と推測しています。
まず、外れたことがありません。
勿論、どっちが良い悪いという事ではありません。
相手を良く知る上での一つの切り口としてのテクニカルなお話でした。
2006年07月11日
子供らしさと子供っぽさ。
こと男性には、
・子供らしい人
と
・子供っぽい人
がいると思います。
しかし、「子供らしさ」と「子供っぽさ」には大きな違いがあると思います。
それは一重に、責任を甘んじて受け入れられるかどうか。
ただの甘えの上に成り立っているかどうかが大きな違いであると思います。
何かわくわくする仕事だったり、大事な人のためだったりと、純粋に無邪気にそれを大きなエネルギー源にして目的達成のために尽力します。
そして、そのために付きまとう様々なしがらみだったり乗り越えるべきものを、きちんと想定し様々なバランスを取りつつ目的達成のために尽力します。
一方、「子供っぽい人」はある種、乱暴な言い方をすれば無責任な部分があると思います。
以前、学生時代にとある方からこんなことを聞いたことがあります。
「成功する奴は夢を語るだけでなく、今を語る。失敗する奴は夢しか語らない。」
感銘を受けた言葉だったのですが、ある種、同じことを言っている出のはないかと思います。
無邪気に夢だったり、やりたいことを描いた人で「子供らしい人」は、それを実現するためにやならければいけないこと、補わなければいけないこと、クリアしなければいけないことをきちんと見据えて動くと思うのです。
ですが、「子供っぽい人」はそれらが抜けていて、ややもすると誰かのせいにしたり、現実から目を背けたりと夢を夢で終わらせてしまう傾向にあります。
実はかく言う僕は、良く「やんちゃ」とか、「がきんちょ」とか、はたまた「常軌を逸した自由人」と友人から言われることがあります。
それは子供らしさなのか、子供っぽさを意味してるのかわかりませんが、自戒をこめて常に意識して動きたいと思います。
子供っぽくて、成功するにはアーティストのようによっぽどの
「天賦の才」
が無ければ、非常に難しいと思いますし、それは100万人に1人の確立であろうと思います。
僕は凡人なので、常に客観的に自分を見ながら、何かを見たり考えたりして「わくわく」しつつも、きちんと責任を全うできるようにしたいと思います。
日々、是精進ですね。


